Either awe

19世紀音楽のレパートリーに深く関わるようになるにつれ、ロジャー・ノリントンは作曲家が聴衆に感銘を与えることを重視したという点についてより強く意識するようになってきた。「ロ短調ミサは畏敬の念を感じさせます。もちろん彼らはドン・ジョヴァンニも聴いていました−−19世紀というのは、全てドン・ジョヴァンニを一歩でも乗り越えようという試みであったのです。」それははっきりと個性を持った、確信に満ちた判断である。ノリントンは、モダンと古楽器の両方のオーケストラによる幅広いレパートリーの録音を行ってきた。しかし、彼を管弦楽作品の中核レパートリーを再考する指揮者の最前線に位置づけてきたのは、いうまでもなくロンドン・クラシカル・プレイヤーズとのベートーベンベルリオーズブラームスからワーグナーに至る演奏である。

それで、何故ブルックナーとスメタナなのか。私は彼に質問してみた:それは前進するという古典的な論理によるものなのだろうか? 「そう、そこが次に我々が行くべきところなのです!」 けれども、幸運な偶然の一致により、2通の招待状がまさに来るべき時に届いたのである。「リンツ音楽祭が私たちにブルックナーを演奏するように依頼してきて、プラハからは春の音楽祭に出演するよう、招待状が出し抜けに届いたのです。わたしはこのとんでもないチャレンジが気に入りました。こう考えたのです『我々はまさにこれをしなければならない:我々はちょうどブラームスをやり遂げ、ワーグナーをやり遂げたところだ。これがどんな音になるのかやってみなければなるまい。どうやって演奏するべきかは今のところわからないけれども、どうやってそれを発見するかは知っている』とね。人々はときどき私たちは作品がどのように響くのかを知っていて、その専門家であるという印象を持っているようです。しかし、私たちは知らないのです−−私たちはベートーベンやベルリオーズの交響曲がどのように響くのか知りたいと思っています。私たちが演奏するのは、知りたいからなのですよ。」

[Early music today cover] ブルックナーの交響曲3番を演奏し録音するにあたって−−ブルックナー没後100年を記念して10月に発売された−−ノリントンはいつものように作曲家のオリジナルな考えを調べた。彼はバイロイトに赴く。そこには献呈に同意したワーグナーへの贈り物とされた、良好な状態のスコアが保存されているのだ。これまでバイロイトの自筆譜による演奏は一つしかなく、しかもそれはオリジナル楽器によるものではない。

しかしLCPはこんなところにまで、マーケティング戦略以上の何かによって進んできたのだろうか? 実際、我々はどんな違いを耳にすることができるのだろうか? ノリントンはテンポの問題を取り上げ、Gemäßigt, misterioso(適度に、神秘的に)と記された第1楽章について指摘した。「それは一種のアレグロで、第1楽章の類型の一つなのです。しかし、あまりにもしばしば、この楽章は信じられないほどゆっくり演奏されます! それから、終楽章のポルカも同じくゆっくり過ぎます。」ノリントンは主張する。ブルックナーはダンスを愛し、彼がポルカを書くなら−−あるいは3楽章のようにワルツを書くなら−−それは実際に踊ることのできるものであったに違いないと。「このやり方はうまく行くのです。音楽が生き生きとしてきます。さらに、終楽章にはコラールがあります。ダンスは踊ることができなければならず、コラールは歌うことができなければなりません。」(ここで彼は、議論を強化するためにコラールをハミングしてみせた。)ロマン派におけるダンス音楽の重要性にしばらく話が弾んだ。彼は認める「もちろん、後期ロマン派においては、それは拡張されましたし、リヒャルト・シュトラウスのような人はたぶん踊ることが不可能であろうような書き方をしました。しかし、ご存知の通り、ブラームスはヨハン・シュトラウスとごく親しい間柄だったのです。シュトラウスは彼に即興でフーガを弾くように頼み、ブラームスはシュトラウスのワルツを題材にして即興をしてみせたりしたでしょうね。」

では、素朴な教会オルガニストでローマ・カトリックの神秘主義者で、作品を神に捧げたというような、我々の持っているブルックナー像はどうなるのだろうか? 単にもうひとつ、踊りが好きだったという一節をそこに加えればいいのだろうか? ノリントンは、ブルックナーが音楽院の授業中に天使の歌声を聴いて祈りを捧げるために授業を中断したという、典型的な逸話をの話をする。しかし、それにつけ加えて彼は、ブルックナーの3番の準備のため多くの人に意見を聞く中で、あるブルックナー学者にブルックナー神話について質問したことを話してくれた。彼が得たのは「ブルックナーに関するあらゆる神話は間違い」という答えだった。それに勇気づけられ、ノリントンは、一から始めて彼自身のブルックナーを見つけるしかないと決心した。「私はこの画一的なブルックナー観の背後に回り、人間を発見したかったのです。」

ノリントンはブルックナーのマリア信仰と彼と母の関係という組み合わせはよく知っている。「彼はこの交響曲を、母の聖名祝日にちなんだ緩徐楽章から書き始めました。しかし」彼は言う「彼の第1楽章、この密度の高い音の広がりで何が起こっているかを理解するのはもっと難しいことです。私は、第3番においては、それを偉大な旅を象徴するものと考えるのが最も分かりやすいと思います。ちょうど、シューベルトの9番−−私はそれを『夏の旅』と呼んでいるのですが−−のようにね。」標題音楽? これは先に行くのは危険な道ではないのか? 「ブラームスがいつも、まるで彼は音楽のことのみ考えているかのように、『ブラームスは造形者である(Brahms the architect)』と語っていたのをご存知でしょう。しかし、彼はとてつもなく多くのプログラムや物語を心に持っています。ブラームスは劇作家です−−情熱に満ちたね。私はウォルトンの言う、何かとんでもないことが生じたんでなければ交響曲のような困難なものを書くことはできない、という意見が好きです。怒りや情熱やエネルギーが必要なのです。」

では、オリジナル楽器を使用したことによって、サウンドはどうなっただろうか? それはつまるところバランスの問題であるように思われる。「私はブルックナーの交響曲を聴いていて、最初から最後まで木管が全く聞こえなかったことが何度もあります。当時は弦がたくさんいるときは、いつも木管を16本にまで倍管していたのでしょう。」しかし、このCDの冊子には確かにフルート2本、ピッコロ、オーボエ2本、クラリネット2本、バスーン2本しか載っていないのでは? 「ああ、私はできることなら16本の木管を使いたかったのですが、全部揃えるのは不可能でした。録音では、それを考慮に入れることができるのです。」実際、しばしばブルックナーの演奏を特徴づける勝利主義的な金管の響きが、確かにノリントンの演奏には全く聴かれない。ノリントンは金管、木管、弦の3声部のバランスを取るということについて語る:金管は明確に聞こえてくるが、決して管弦楽の他の声部を圧倒してしまうことはない。エキサイトが失われるということはない−−畏敬、というのがお好みなら、はちゃんとそこにある−−けれどもオリジナル楽器とノリントンのテンポは、音楽から尊大で威圧的な要素を取り除いた。微かにユーモラスに響くということもできるのだが、これは武装解除されたブルックナー、人間の顔を持ったブルックナーなのである。

古楽の学者=指揮者の伝統出身の音楽家にとって、ブルックナーの魅力を見いだすことは容易だった。ブルックナーの交響曲は、結局のところ、複雑な編集によって有名なのだ。作曲家の友人たちによって同時代の趣味に合うように、そして演奏可能で出版可能になるよう強く進められた妥協の数々が知られてきた。しかし、スメタナは? 明らかに、校訂の決定的作業はすでに尽くされ、70年代にシュプラフォンによって原典版が出版されたのではなかったか? ノリントンは私がまんまと罠にはまったので喜んだ。「私が満足できるパート譜のセットは存在しません。ちょっとした驚きでしょう? ええ、そうです、とても明快で、金のかかった版はありますよ。」しかし、編集者は後世の干渉を取り除き、音楽を復元したのだと主張しているのでは? 「ええ、編集者は1000箇所にのぼる改変を取り除いたと言っています−−それは間違いないのですが、まだ250か500ほどが残っているというだけです。」

では、何がいけなかったのか:なぜ古くさい編集上の干渉があるのだろう? 「最高の善意によって、編集者たちは彼の音楽を彼が書いた以上によく響かせようとしたわけです。彼らは、それがドイツ的に響きすぎると思った−−もちろん、彼はそのつもりだったのです。」それに長い改善の歴史をさかのぼって回復しなければならない。「伝統的に、歌手や指揮者や演奏者はどんどん楽譜を変更していきました。モーツァルトがヘンデルを指揮するときにはどうしたか? 変更を加え、改良しました。 マーラーはシューマンの交響曲をより良くするために書き換えました。私は覚えていますが、マルコム・サージェントと共演したとき、彼は私を脇へ引っ張って行き、私が指揮する音楽の変更について知っておくべき点を示してくれました。私たちは、全てをひっくり返して、自分自身に作曲家を信じるよう言い聞かせました。ちょっと話が単純すぎますが、しかしそれが私たちの持つ全てなのです。もしベートーベンのメトロノーム記号に従わなければ、我々は唯一の手がかりを投げ捨てることになるのです。」

そういうわけで、ノリントンは作曲家の自筆譜に立ち返る。「スメタナは自分の全作品を指揮し、彼の書法の効果を理解していました。彼はテストを行ったし、自筆譜は完全に明晰です−−それを使って指揮することができるほどで、澄み切って明快です。出版譜と和音は全く同じだけれども、個々の音は全然違っているページも1、2あります。彼らはもっと良い音域に音を持ってくることができると考えたのでしょう。管楽器を1オクターブ上げたりすることで。もし巨大な弦セクションがあって管楽器が聞こえないなら、ホルンとトランペットに向かって1オクターブ上げろと叫ぶというわけです。それは効果はありますが、彼が書いたものとは違います。そしてそれが入手可能な最善の版なのです」

けれども、と彼は意見を述べる。彼はスメタナが念頭に置いた編成と楽器で演奏しているので、作曲家の本来の考えがきちんと姿を現すのだと。では楽器についてはどうだろう−−実際、スメタナにさかのぼるということは、ウィーン型かボヘミア型かという議論の絶えない問題に踏み込むことになるわけだが? 「私たちが使った楽器で真にボヘミア型なのはチューバだけです−−それは実に素晴らしい楽器ですが。けれども、ボヘミアには極めて大きなウィーンの影響がありました−−相互交換作用は非常に強く、しかもウィーンは文化の中心地でした。おそらく、これは次の世代が取り組む課題でもあるでしょうね:チェコ・クラシカル・プレイヤーズはボヘミアの楽器でスメタナを演奏しています。我々は若い演奏家たちのすることを残しておかなければなりません」

これはつまり、我々は古楽革命のある面の最終点にたどり着いたと彼が考えているということなのだろうか? 「もうそれほど残っていることはありません、どうですか? 私たちはチャイコフスキーとドボルザークを計画しています−−チャイコフスキーは素晴らしい音がしますよ−−から、まだそれらがこの先あります。もしかすると、ちょっとマーラーを手がけるかも知れません。私たちは素晴らしい30年間を送り、扉は次々に開いてきました。もうこんな、色彩を再発見し、幻想交響曲やブラームスをオリジナルの楽器で耳にする第1号になるというような経験を繰り返すことはできません。我々を導いてきた目覚ましい道のりは今まさにブルックナーまでやってきました。それは、何度も『そうだ、これでいいんだ』と実感する、この上なくエキサイティングな経験だったのです。」

by Lucien Jenkins

Early music today, October/November 1996

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