ノリントン70歳記念インタビュー

ロジャー・ノリントンは70歳の誕生日と、これまでの数々の成果を軽く扱っているようでもある。しかし、Shirley Apthorpの見るところ、この指揮者はまだまだその仕事に、そして人生そのものにも、真剣に取り組んでいる

それはたかだか音楽に過ぎません、脳外科手術ってわけじゃないんです

これって、ずるいんじゃないのかな? サー・ロジャー・ノリントンの70歳の誕生日はまだやってきていないけれど、彼はもうプレゼントで遊んでいる。駄目じゃん、と指摘されると、彼は振り返って笑う。「でも、私はまだ包みを開けてませんよ!」

そのプレゼントとは「Conversation with Chet」。英国の作曲家ジェイムズ・バレット(James Barrett)によるトランペットと管弦楽のための新作で、この機会にシュトゥットガルト放送交響楽団が委嘱したものだ。そして、ノリントンがまだ包みを開けていないというのは、ある意味で本当だ。ここで行われているのは、オーケストラの初練習;トランペット独奏のアリソン・バルソム(Alison Balsom)はまだ加わっていない。その代わりに、彼が明るいテノールの声で、ジャズ・ラインを歌ってみせる。
(この記事は2004年3月15日のFinancial TimesのArt面に大きく掲載された。)

新曲というのは、ノリントンの70歳の誕生日を祝うのに、あなたが期待するものじゃないかも。彼の名前は、古楽運動と分ちがたく結びついているからだ。彼は1960年代初期にはパイオニアとして活躍していた;シュッツ合唱団を設立し、後にロンドン・クラシカル・プレイヤーズを設立した。彼らによるオリジナル楽器を用いたベートーベンの交響曲全集は革新的で、続くロマン派の作品演奏も同様だった。今日では、ノリントンはオリジナル楽器への関心を失っているように見える。むしろ、シュトゥットガルト放送響の奏者に、ベルリオーズ、チャイコフスキーやワーグナーを、正しいテンポでビブラートなしで演奏させることに意を注いでいるようだ。すると、バレットの位置づけは?

「私はこれまで、60以上の世界初演をやってきているんですよ」と彼は答える。「いつもずっと現代ものを手がけていたんです。キーキーガーガーうるさいやつはあまりやってません。けれども、現代音楽を演奏することは重要だと考えています。」

今日ノリントンをオペラと結びつけて語ることは少ないが、彼は470以上のオペラ上演も指揮している。彼はドイツにおける英国音楽の闘士として活躍し、さらに最近では、ベルリオーズのプログラムをひっさげて欧州ツアーまで行っているのだ。そんな彼の音楽作りにおける一貫した要素がひとつあるとすれば、それは抑えきれない喜びだろう。

「ほとんどの音楽は笑いに満ちています。モーツァルトもハイドンも、彼らの仕事にあふれているものは最高のウィットです。ベートーベンも同じです。明らかに、メンデルスゾーンやブラームスになると、それはなんと言うかより哲学的なものに溶け込んでいますが、ユーモアがないところには、愛があると言ってもいいでしょう。そしてこの二つは、実際ほとんどすべての音楽を意味付けるものなのです。」

よく動き積極的なリハーサル、活発な会話、ノリントンはとてもそんな歳には見えない。彼は歳を感じているのだろうか。「ノー!」と叫んだ後で、ちょっと尻込みするように、「イエス!」

彼は明日[誕生日当日]、自宅で家族と友人とともにお祝いをするが、その前後にはお祭りイベントが目白押しだ。先週はシュトゥットガルトで、昨日はルツェルンで、そして水曜、木曜はウィーンで放送交響楽団を指揮する。ベルリオーズの幻想交響曲の録音は、このツアーに合わせて発売される予定だ。

「これはちょっと驚く光景です」と彼は言う、「私は70歳を祝うより、75歳になるのを待ち望んでいます。こちらは、もう少ししっくりくる到達点かな。大騒ぎするのは好きじゃないけど、実際のところ選択の余地もないわけで。」

ある部分これはポーズだ。ノリントンは明らかに注目の的になっているのが好きだし、もちろんパーティの雰囲気をつくり出している。これはひとつには、彼がアマチュアとして音楽経歴を始めたことの結果でもあるだろう。大学卒業後、彼はまず出版界に進んだ;音楽を職業にしようと決めたのは28歳になってからだった。「最初に私は楽しみのために音楽をし、それをやめることはありませんでした。今でも私は楽しみのためにやっており、楽しい雰囲気を求めています。」

一時は音楽の一匹狼とみなされていたノリントンも、今ではウィーン、ベルリン、アムステルダム、パリ、ロンドンの最良のオーケストラと定期的に共演している。しかし、仕事の頂点にあるほかの多くの人々とは異なって、彼はそれを静かにこなし、指揮をするのは年のうちわずか26週、バークシャーの家で演出家の妻と息子とともに過ごす時間をたっぷりとっている。

「私は何事も深刻に考えすぎたりしません」と彼は言う。「結局のところ、それはたかだか音楽に過ぎないのです! 脳外科手術じゃないんです。この考えを音楽家に言ったりすると、彼らはかなり怒ります。彼らのしていることは、とても、とても重要なことだと考えているからですね。現実には、それは世界がどう動くかに影響を与えたりはしないのです。」

ノリントンは経験に基づいて語っている。1991年、彼は悪性の脳腫瘍と診断された。手術後、医師は彼に数ヶ月、のちに数週間の命であることを告げた;彼はお別れを言い始めた。その後、彼はニューヨークの型破りな癌治療医であるニコラス・ゴンザレスに出会った。

「毎日120錠もの薬を飲みました―ビタミン剤、ミネラル、酵素などをね。彼は正統派から批判されていますけれども、彼にはたくさんの命をとりとめた患者がいるんですよ! 私はとても幸運だと思います。というのも、この12年間は素晴らしいものでしたから。仕事面では、天井に頭がぶつかるところまで行き、あらゆるトップ・オーケストラを指揮しました―私から茶目っ気を奪うことなくね。」

それは、ダマスカスへの道(回心の道)ではなかったと彼は言う。「死ぬという考えに不安になったりすることはありません。未達の大きな目標があるわけでなし。古楽を巡るいろんなことが主流になるのを見ることもできたし。私は宿命論者なんです;そのときはそのとき( If it happens, it happens)。でも一方で、明日あなたが交通事故に遭うかもしれないし、そのとき私は歩道で笑っているかもしれないんです!」

しかしこののんきな態度の裏には、彼の深い情熱が隠されている。ノリントンの過去数十年の音楽的な試み、ハープシコードと合唱から始まって、ガット弦とバロック弓、古典派時代の木管とロマン派時代のピアノを経て、オリジナル楽器によるワーグナーとエルガーに至る試みは、ついにひとつの信条に凝縮された:ノン・ビブラート

演奏家がピリオド楽器を使うかどうかは、もうあまり問わないと彼は言う。それよりも、曲が書かれた時期にふさわしいスタイルで演奏することの方がずっと重要であると。純粋主義者は彼の姿勢を裏切りと見なすかもしれないが、彼の意志は固い。「最初の頃は楽器のことばかりでした。私がこれについて非常に熱心だったのは確かです。私は楽器について、そしてそれらがどう機能するかについて多くのことを学びました。しかし、でも、モダンなバイオリンと古いバイオリンの違いは、どれほど大きいのでしょうか、実際問題? 違いといえば、ブリッジがいくらか変更され、スチール弦を使うということぐらいです。それ以外は、どうやって演奏するかの問題なのです。」

ビブラートは、1920年から1940年にかけてオーケストラ界に感染した、ある種の集団的な音楽の病なのだと彼は言う。この一時的なファッションを、彼は根絶したいと願っている。彼は、歴史的な録音も持ち出してこの議論を証明する。

「1930年代以前の作曲家は誰も、自分の音楽にビブラートが使われるとは考えていませんでした。シェーンベルクはそれを嫌悪していました:彼はビブラートはヤギが鳴いているみたいに響くと言ってるんです。ひとたびビブラートをやめれば、全く違った方法で演奏することが可能になります。もっとずっとフレージングにいろんなことができるようになり、遥かに色彩豊かに響かせることができます。私の視点は、もしブラームスやチャイコフスキーやマーラーにとって十分よいことだったのなら、私にとっても十分よいことだ、ということなのです。

ノリントンの個人的改革運動は、シュトゥットガルトをその旗手として、新しい響きをどんどん古いものにしていくことだ。彼は既にハイドン、シューベルト、ベートーベン、ベルリオーズ、ホルスト、そしてエルガーを、放送響とともに、すべてノン・ビブラートで録音した。ブラームス、マラー、ブルックナー、そしてワーグナーが続けて予定されている。

「これが私の将来の青写真です」と彼は言う。「私が持っているのはこれだけです。このオーケストラは、これを実行してくれる世界で唯一のものです。客演指揮するときは別にしてね。まるで、まったく未知の新しい大陸を横断するようなものです。私は、オリジナル楽器でマーラーにたどり着いた時点で、やるべきことは終わったと思っていました。でも実は、あらゆるものが今、しっかりと掴み取れるよう首をもたげてきているのです。」

半月形の眼鏡の奥で、彼の目がきらきら光った。70歳は、もう一つの旅の、単なる通過点に過ぎないように思える。

(これはShirley Apthorp, "It's only music, it's not brain surgery", The Financial Times, 2004-03-15の翻訳です)