大津直子の音楽ノート

【第4回:96.3.15】

みなさん、こんにちは。
ご無沙汰してしまい、どうもすみませんでした。
色々と用事が立て込んでいるうちに、早くも1か月が過ぎてしまい、自分でもびっくりしています。
さて、前回は音楽評論がコマーシャリズムに乗っかってしまい、正常に機能していないという現状についてお話しましたが(覚えてますか?)、今回はそれを受けて、“HOW TO READ 音楽評論”というテーマでお送りしたいと思います。

プラス・イメージを除外して読め

音楽評論家ないしは音楽ジャーナリストと呼ばれる人達が、本音を言っていては、仕事として成り立たないというジレンマを抱えているというのは、前回、お話ししたとおりです。
心ある人は、こうした現状からなんとか脱却したいと真剣に考えているのですが、なにしろ、個人の力ではそう簡単には解決できず、自分の良心との間に挟まって、悶々としているのが事情です。
そういう場合の苦肉の策として、頻繁に用いられているのが、以下の2つの手法です。

  1. 欠点にはあまり触れずに、長所を際立たせるように書く。
  2. “荒っぽい”フ“ダイナミック”のように、表裏一体の関係になるような表現では、ポジティブなイメージを持つ方を使う。

言葉というのは便利なもので、同じことでも、ポジティブにもネガティブにも表現できます。そうした特性をうまく利用した方法というわけですね。ですから、読み手としては、書かれている言葉の持つ(特にプラス方向の)イメージを一旦除去して、どういう傾向にあるのかのみを示すものとして、受け止めてみるのも一案でしょう。

自分と“ウマ”の合う人を探せ

音楽のように感性に訴えるものについては、その評価がどうしても個人の嗜好や価値観に左右されがちで、どこまで客観的であり得るかという、非常に厄介な問題を抱えています(また、こうした問題について、あまり議論がなされていないという現状にも、問題があると私は思っているのですが、この件については、また別の機会にお話したいと思います)。とにかく、音楽評論における「客観性」が確立されず、曖昧な部分をたくさん抱えている以上、読み手側が、(たとえば“巨匠”好みの人や、風変わりな演奏を高く評価する人などの)各々の書き手の嗜好や評価のポイントを把握すること、そして、できれば、自分と嗜好や価値観の合う書き手を見つけておくことが、ある程度、有効な自己防衛策となると思われます。

書き手の得手・不得手を見抜け

音楽評論家も真っ青なくらい、いろいろなことに精通しているマニアの方がいらっしゃいますが、どんなジャンルでも一応は“文章”にできるというのが、プロとアマの違いであるという説もあります(これについても色々と問題があるのですが……)。しかし、現実にはバロック以前の音楽から現代音楽、また、管弦楽曲から室内楽、オペラ、声楽曲に至るまでの広範なジャンルを均等に制覇していることは、有りえないといっていいでしょう。本来は仕事を依頼する側が、ある程度、適不適を見極めてから仕事を発注するのべきなのでしょうが、巷に出回っている評論には、「んっっ?! この人、ホントにわかってるのかしら?」と首を傾げたくなるようなものも、けっこうあったりします。まあ、ある分野で、多少、的外れなことを書いていても、専門とするジャンルを持っている場合もあるので、1発だけではなんとも言えませんが、そのあたりの書き手の得手・不得手を判断するのも、大切なポイントだと言えるでしょう。

こんなことを書き連ねると、「なんだか面倒くさい」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、この情報過多とも言える現代において、情報を判断する“眼”というのは、どんな分野にも要求されるのではないでしょうか? とにかく、書かれていることを100%真に受けずに「本当かな?」という、クエスチョン・マークを頭の片隅に常に置いてみることをおすすめします。それから、良い仲間を持つことですね。ヘンな評論よりも、ずっとストレートな意見が聞けるし、参考になることが多いと思います。

……とこんな具合でいかがでしょうか?もし、ほかにもこういう方法があるというご意見やアイディアがありましたら、ぜひご一報ください

では、今回はこのへんで……。



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