
【第7回:96.8.15】
暑い日が続きますが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか? 東京では8月は1年の間で最も演奏会が少ない月のようですが、この6〜7月には興味深い演奏会が目白押しでした。中でも、私は若手ヴァイオリニストの演奏会を聴く機会に恵まれたので、今回はその話をさせていただきたいと思います。
私が聴いたのは、竹澤恭子、五嶋みどり、諏訪内晶子、ギル・シャハム、マキシム・ヴェンゲーロフ、渡辺玲子の6人。わずか2か月ほどの間に、これだけ多くの有望な若手ヴァイオリニストを聴けるのは、世界広しと言えども、おそらく東京だけ(あるいは、ニューヨークもそうかもしれませんが)ではないでしょうか? もちろん、この6人のうち4人が日本人だということも影響しているのかもしれません。しかし、この4人の女流奏者(それからギル・シャハムもそうですが)は、いずれもジュリアード音楽院で研鑽を積んでおり、ニューヨークを活動拠点としていること、そして、各人が各レコード会社の若手の主力アーティスト(竹澤…RCA,五嶋…ソニー,シャハム…グラモフォン,ヴェンゲーロフ…テルデック,諏訪内…フィリップス(今秋発売予定),渡辺…テルデック(発売時期は未定))であることから考えても、“日本人”という枠を越えて活躍しているアーティストだと見なせると思います。逆に考えると、日本人の若手ヴァイオリニストは、これからのヴァイオリン界において、非常に重要なポジションを占めてくるといえるでしょう。
さて、それではさっそく各人の演奏会の感想を述べたいと思いますが、まず最初に断わっておきたいのは、これは今回の演奏会のみの感想であって、まだ若いアーティストの能力や将来性を決め付けつけるものでは決してありません。今、それぞれのアーティストがどんな良さを発揮しているのか、どんな問題に直面しているのかを、拙文から読み取っていただければ幸いです。
5月25日 フィリアホール/ベートーヴェン スプリング・ソナタ、R・シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ、バルトーク ヴァイオリン・ソナタ第1番
彼女の魅力は、何といっても非常に太くて逞しい音楽作りです。音も大きく、オーケストラと堂々と渡り合えるだけの強い表現力を持っています(これは、ソリストとして非常に重要な要件)。そうした彼女の音楽性にぴったりなのが、バルトーク。以前からバルトークを得意としている彼女ですが、今回もスケールの大きい、気迫に溢れた演奏を聴かせてくれました。これだけ野性味溢れるバルトークを聴かせるのは、彼女の他にいないといっても過言ではないと思います。この作品は複雑でしかも非常にエネルギッシュなので、演奏者はこの両面をきちんとクリアしていかなければならないのですが、彼女の資質は作品の本質にぴったりとマッチしていて、作品の魅力を力強く表現し切っていました。それに比べると、R・シュトラウスは技術的には問題ないのですが、内容的には、まだ完全に“モノ”になりきっていない感じ(この曲と“スプリング”は、譜面を見ながら演奏していたので、もしかしたら、本人も、まだどこかに不安があったのかもしれません)。彼女の実力からすれば、もっと迫力のある演奏が可能なはず。彼女の資質にも合っている作品だと思われるので、ぜひこれからも磨きをかけて、作品の本質に鋭く迫っていってもらいたいものです。
もし、現在の彼女に1つ望むものがあるとしたら、それは優美さだと思います。持ち前の男性奏者にも劣らないスケール感と逞しさに、しっとりとした優しい表情が自然にプラスされるようになったら、本当にものすごい演奏家になることでしょう。それだけに私は今後の成長を大きな期待を持って見守っていきたいなと思っています。
6月6日 サントリーホール/モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第35番、ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番、プロコフィエフヴァイオリンとピアノのための5つのメロディー、サン=サーンス ヴァイオリン・ソナタ第1番
彼女の実演を聴くのは、これが2度目なのですが、今回は残念ながらちょっと不調だったようでした。彼女の魅力は、「あの小さな体のどこに、これだけのエネルギーが詰まっているのかしら?」と驚いてしまうほどのパワーと集中力で、楽器を輝かしく力強く鳴らしながら、音楽を会場いっぱいに響きわたらせる点にある(あった?!)のですが、今回はパワーが不足していた様子。技術的にはまったく問題ないし、音色の方も(特に弱音で)、時々ため息が出るような美しい音を聴かせてくれます。この美しさは、数多くのヴァイオリニストの中でも、ピカイチと言えるくらい!! ただ、彼女はもとから音楽の中に深く没入していく傾向があったのですが、それがますます著しくなってきているようで、音楽に深く入り込んで、細部までつぶさに描き出そうとするあまり、テンポがどんどん遅くなり、拍やテンポといった、西洋音楽の骨格ともいえる要素をないがしろにするような形になってしまったのです。その結果、聴き手は、自分が音楽的な空間のどこに位置しているのかを見失い、宙を彷徨っているような不安な感覚に襲われてしまう。言い替えれば、感情移入の激しさのあまり、音楽に対する客観性を失いかけているということなのです。それにテンポが遅くなると、音楽はどうしても停滞しがちになり、生き生きとした感じが出にくくなるのですが、それが今回は残念ながら、マイナスに作用してしまったようなのです(ちなみに、彼女は全曲暗譜で弾いていましたが……)。
「みどり教育財団」という、通常の“音楽家”の領域を越えた素晴しい活動を行っている彼女ですが、もしかしたら、忙しすぎて、少し疲れているのかもしれない……と、私はちょっと気にかかりました。演奏会を行うだけでも、莫大なエネルギーを消耗します。そのために、演奏会の回数をある程度セーブする音楽家もたくさんいるくらいなのですから……。10代から“天才少女”として、突っ走ってきた彼女ですが、このへんで少しゆっくりとエネルギーを補給してもいいのではないか……なんて、余計なおせっかいかもしれませんが、そんな気がしたのです。これからまだまだ先は長いのですから、ここで消耗し切ってしまっては、元も子もない。10〜20代で消えていった“天才少年少女”達はたくさんいます。ヴァイオリニストにとって“30歳の壁”というのは、かなり厚くて厳しいもののような気がします(これについては、また別な機会にお話ししたいと思います)。彼女はせっかく天才的な才能を持っているのですから、それを充分に開花させながら、しかもペース配分を考えて、音楽家としての人生を“完走”してもらいたいものだと、私は切に願うのですが……。
6月30日 サントリーホール/ストラヴィンスキー プルチネッラ組 曲、プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第1番、モーツァルト ヴァイ オリンソナタ ト長調、武満徹 悲歌(エレジー)、ブラームス ヴァイ オリン・ソナタ第2番
1991年の秋からの沈黙を破り、昨秋のN響の定期を皮切りに、日本での演奏活動を再開した諏訪内晶子。今回は、まさに“満を持して”のリサイタルで、非常に良く練り上げられた音楽を披露してくれて、とても感心しました。もちろん、全曲暗譜。もともと彼女は音色やフレーズ、様式といった、音楽の外面をきめ細かく磨き上げていくタイプでしたが、そうした面が一段と徹底された印象を受けました。でも、ただそれだけで終わらなかった所に、彼女の飛躍的な成長の跡がうかがえたのです!! チャイコフスキー・コンクール優勝当時には、内容的に訴えるものがやや乏しく、やもすれば優等生的との批判がありましたが、今回は、形式的な美しさを大切にしながらも、自身の作品に対する想いや共感を、実にバランス良く盛り込んでいたことに驚かされたのです。正直言って、私はいい意味で大きく期待を裏切られてしまいました。「アメリカでは『あなたはどんなふうに演奏したいのか』と問われることが多かった」と、彼女はインタビューなどで答えていますが、こうした主体性を重んじるアメリカ流の教育が、彼女にとっては大きなプラスとなったようです。ただし、一般にジュリアード系のヴァイオリニストは、音楽に対する自身の想いを最優先する(そのためには、音楽の形態的な美しさを多少損なってしまうことをも辞さず、往々にして、その分をテンションの高さや表現力の強さで補填する)ことで、自己の個性を強烈にアピールするというやり方を取っているようですが、彼女の場合は、むしろロシア系の演奏家のように、まずは音楽の外面をしっかりと作り上げてから、そこに自身の想いを、無理のない形で同化させようと努めているように感じました。その結果、強烈な何物かに圧倒されるということはないのですが、非常にスタイリッシュで趣味の良い、正攻法の演奏を実現することができたのです。こういう“若さゆえの情熱”に頼らない若手演奏家というのは、現在、非常に貴重な存在ではないでしょうか。彼女には今後もこうした方向で音楽にどんどん深みをつけて、正統派ヴァイオリニストとして大成してもらいたいと、私は大きな期待を寄せています。
ただ、彼女に1つだけ注文をするならば、「大勢の聴衆の前で演奏する」という行為は、彼女自身にとってどんなことを意味するのかを考えてもらえればと思うのです。時間をかけて準備してきたものを発表するだけの場なのか、それとも、それ以上の何かを見い出しているのか……。難しい質問かもしれませんが、これは彼女の音楽家としてのスタンスを問う、大きな問題だと思うので……。
なお、秋にはフィリップスから待望の初CD(ブルッフのヴァイオリン協奏曲の第1番とスコットランド幻想曲のカップリング)が発売される予定になっています。ちなみに彼女は、今年4月にブルッフの協奏曲でボストン響の定期演奏会デビューを果たし(指揮は小澤征爾)、現地での評判も大変良かったようですので、CD(こちらはマリナー指揮アカデミー室内管)の仕上がりも期待できそうです。
……と、わあーっ!! ずいぶん長くなってしまいましたね。 皆さんもお疲れでしょうから、続きはまた次回にいたしましょう。 それでは、皆さん、まだまだ暑い日が続きますが、おからだを大切に……。