ニューヨーク1989

よく銃声を耳にした。

コロンビア大学は、ニューヨーク・マンハッタンの西116丁目にある。島の北端は215丁目だから、地理的にはほぼまん中になるのだが、日航がおまけで配るニューヨークの地図はもっと南でカットされていて、コロンビアがあるあたりは、仲間に入れてもらっていない。そのうえ、ごていねいにも「旅行者は90丁目より北には足を踏み入れないように」などという注意書きまであって、大学はまるで地の果てにでもあるかのような印象だ。

確かに、崖を隔てた東側にはハーレムが広がっているし、稀にではあるけれども近所で発砲事件があったりもする。しかし、キャンパスは思いのほか広くきれいで、アイビーリーグらしい瀟洒な建物や、芝生を走っていくリスを見ると、日本で教え込まれた「怖いニューヨーク」との落差に少し驚くことになる。中西部の大学のスケールにはかなわないにしても、よくマンハッタンにこんなものをと感心してしまう。

[CU Student Card] コロンビアのキャンパスは国際色豊かだ。ビジネススクールにも、世界各地からいろいろなキャリアを持つ学生が集まってきている。コンピュータ・サイエンスを学んできたギリシャ人、政府の役人をしていたタイ人、数学科出身のベネズエラ人、音楽家だったベルギー人……。こういう多国籍社会では、インド人教授がお経を読むような英語で堂々と授業を展開するのも、新鮮でこそあれ決して驚くようなことではないのだ。

大学から少し南に下ったアパートのあるあたりになると、事態はもっと混沌としてくる。そこでは、英語を日常語としているのはむしろ少数派で、街ではスペイン語がほとんど公用語に等しい。隣の中華料理屋では店員は中、西、英の三カ国語を使い分けているし、角の八百屋は、英語で商売しながら韓国語で子供を叱り、我々を見かけると「コンバンハ」と日本語であいさつする。こうなるともうだれもが少数派であり、単一民族のムラ社会で暮らすのとも、少数民族として差別に甘んじるのともまったくちがう、ダイナミックな異質性の世界を生きるという、一種の緊張感の連続を経験することになるのだ。

ニューヨークの力強さは、この雑多な民族のエネルギーによるところが大きい。マンハッタンは世田谷区ほどの広さしかないのに驚くほどの多様性を見せるのも、同じ理由からだろう。

アパートの近所では、住民たちがいつも歩道にたむろして雑談をしている。夏など、部屋には冷房なんかもちろんないから、外にいるほうがよっぽど涼しいのだ。駐車中の車にみんなで腰をおろし、ビールをラッパ飲みしながらワイワイしている姿は、一見異様ではあるが、街の底辺のパワーを感じさせるものでもある。

雑多なエネルギーの集積という意味では騒音もそうだ。消防車の狂ったようなクラクション。パトカーのブッとんだサイレン。少年たちの鳴らす爆竹の音すら、渾然となってニューヨークの色を形成している。

はじめは少々抵抗を覚えるこの雰囲気も、一年を過ぎる頃から居心地の良いものになってくる。ざわざわとした空気の無骨な肌触りにいつの間にかなじんでゆき、銃声が無数の騒音のひとつにしか過ぎないように感じられるようになったとき、自分の中で新しい領域が生まれたのだ。

多様な人と音が交錯する異質性。ここでは、銃声すら積極的な意味を帯びはじめる……。しかし、この混沌のなかで聞いていたあの銃声は、じつは街角の爆竹の音に過ぎなかったのかもしれない。