ノイズそして文化圏の違い

 コミュニケーションにおける冗長性には、ノイズなどで情報が部分的に欠落してもメッセージをきちんと伝えるという役割もある。ハーフレートの携帯電話でも何とか会話が成り立つのは、音声メッセージがそれだけ冗長な情報を含んでいるからだ。効率的なやりとりのためにこの冗長性を切り落とすと、少しの情報不足でもメッセージが正しく伝わらなくなるという危険を伴う。文字コードの伝達は、ほんの一部のデータが欠落するだけで「文字化け」して意味不明になったりすることがあるのだ。

 ネットワーク管理者やバックボーンを支える人々の努力のおかげで、電子メールでこのような欠損が発生することはごく少なく、通常はちゃんとメールが届く。だからこそこれだけ電子メールが広がってきたわけだが、たまに遭遇する問題には、このようなデジタルの意外な脆さが関係していることは理解しておいてよい。

 通常のコミュニケーションでは、文化的・社会的な共通認識を前提として、さまざまな記号表現に意味を結びつけている。たとえば○がついていれば正解であるということは誰にでもわかる。これは共通認識の力を借りて極めて効率的なコミュニケーションを実現しているわけだが、それだけに文化圏が異なるとうまく機能しないことがある。たとえば答案用紙に○がついていると、アメリカでは「ここが間違っている」という個所を囲んで示しているのであって、私たちの認識とは全く逆の意味になるのだ。

 電子メールの場合は、メッセージの内容だけでなく、データの送受信という面からもこうした共通認識の確認が重要だ。たとえば添付ファイルなどの追加機能は、そのためのルールをお互いが共有することで初めて正しいデータをやり取りできる。認識が食い違うと、添付ファイルが「文字化け」してしまう。

 人と人の対話の場合は、文化圏の違いはすぐ分かるから、事前に相手の国のことを勉強したり、あるいは特別な背景が不要なメッセージを心がけるだろう。ところが電子メールの場合は、相手の文化圏(環境)というものはわかりにくい。つい相手も自分と同じ環境を持つと決めつけ、社内でしか通用しないようなデータを送ったりしがちだ。「ひょっとしたらこの添付ファイルは開けないかもしれない」と考えるためには、やはり相手の立場を思いやる想像力が必要なのだ。

『プロフェッショナル電子メール』プロローグより