花火 第1回演奏会プログラムノート
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン − 二十三独奏絃樂器の為の試作
二千年の歳月をかけて偉大な文化を営々と作り上げてきた偉大な欧州の諸民族は二度にわたる不毛の闘いの果てに、凄絶な殲滅戦へと雪崩れ込み、陳腐な喩ではあるが正に「神々の黄昏」と称すべき不可避の破局を自ら招いた。然し二十世紀の狂気とも言えるファシズムに全て其の責を帰する事は出来まい。第一次大戦終結時の狂的憎悪に満ちた余りにも不合理な独逸への賠償請求は疑い無くファシズムの台頭に与かって少なからぬものがあった。
第一次大戦末期トーマス・マンが帝国主義のカタストロフたる第一次大戦の背後に西欧的文明と独逸文化の最終戦争を透視したのは正に慧眼であったし、勝者の理論のみで一方的に敗者を断罪する独善は第二次大戦という惨劇を引き起こした反省もないまま厚顔に東京裁判でも繰り返される事となる。チャーチルは徹底的な爆撃でドイツ人を極力無惨に虐殺する事により、彼等の戦意を喪失させ大戦を早期に終結させられると豪語したが、高貴なる人命の著しい軽視はヒトラーの雑駁なファシズムと大差がない。ましてや戦中戦後に数千万人の自国民を虐殺したソヴィエト共産主義に於いてをや。当時の欧州は「前門に虎、後門に狼」という以上の凄惨な現世の地獄絵図が繰り広げられていたのである。
二十世紀初頭キケロ風に「いずれ私の時代が来る」と豪語した盟友マーラーを遠く抜き去る名声を獲得し、後期浪漫派最後の傑作交響詩を世に送り出し、引き続いてヴァーグナーによって息詰まってしまったかに見えた歌劇を表現主義的な「サロメ」、「エレクトラ」、擬古典浪漫主義の「薔薇の騎士」、実験的な「ナクソス島のアリアドネ」、円熟の「影の無い女」、「アラベッラ」などの諸作で豊かに彩った天才リヒャルト・シュトラウスとて憎悪と狂気と大量殺戮の二十世紀を統べる運命の女神より逃れ去り得ぬ運命にあった。
もともと音楽的な才能とは別次元で、大変な守銭奴かつ打算家かつ「非政治的人間」であった彼は、ナチス政権奪取後ブルーノ・ヴァルターがベルリンフィルの演奏会を妨害され中止のやむなきに至った際、世界の非難を浴びたナチスの懇願と莫大な謝礼に惹かれ、厚顔無恥にも代役を買って出てナチスの面目を施してしまったり、帝国芸術音楽院総裁という名誉職に嬉々として就任し、ナチスに睨まれるや慌ててユダヤ人を侮蔑する書簡をヒトラーに送ったりと老醜をさらし、第二次大戦後その愚行を指弾され苦々しい晩年を送る事を余儀なくされるのだが、それに先駆け、彼は痛ましい悲劇に見舞われる。1943年10月、ミュンヒェン大空襲、1944年2月ドレスデン絨毯爆撃、翌3月にはヴィーン空襲によって、彼が最も愛し、又彼の作品を最も愛してくれた3つの偉大な歌劇場が灰燼に帰したのである。
いかに政治的に無節操、且つ芸術上の友人たるフリッツ・ブッシュ、ワルターの悲運の亡命にも無慈悲に恬淡としていた彼であっても、偉大なドイツ文化が、何の為す術もないまま滅んで行くのを目の当たりにし、事の重大さは漸く呑み込めたに違いない。砲火轟きやまぬ1945年3月老匠は最早取り返しのつかぬ、人類が作り上げてきた最美のものを喪った嘆きの歌を綴った。彼がガルミッシュでこの独逸文化の鎮魂歌たる「メタモルフォーゼン」を書き上げた三週間後に第三帝国は瓦解し、ドイツは連合国側に無条件降伏をしたのである。
安益泰氏と八木浩氏はその共著の中で「ベートーヴェン、ゲーテ、ワーグナー、ホーフマンスタール、ニーチェ、そして私(R.シュトラウス)の仕事、これらは自由の王国でありながら、どうして世を救い、世を治める事ができなかったのであろうか。権力はどうして自由をこのような仕事でもぎとって、いっさいの営々と築かれた文化を灰にし、人の心を荒廃させてしまうのであろうか。(中略)これは文化と政治の悲劇の歌である。ベートーヴェンとナポレオン、ヴァーグナーとビスマルク、シュトラウスとヒトラーの対立から生じたドイツ文化の悲しみの曲である。」と見事にこの曲の根本精神を要約している。
A.J.P.テイラーも指摘する「政治以外のあらゆる分野は世界第一流のドイツ」民族が、こと政治ではプロイセン帝国の台頭から一世紀以上を経ても結局独り立ちする事さえ出来ず、その政治的稚拙さゆえにそれ以外の一流の全分野を根こそぎ喪う其の悲劇はシェイクスピアの最高の作さえも凌駕するとはいえまいか。そして其の悲劇を決して巨視的な視点からでなく、飽く迄も己の愛したものを喪った私的な悲しみとして歌ったこの曲は、最も愛し抜いた現世から心ならずも去らねばならなくなったマーラーの極めて内面的な告別の賦たる第九交響曲と共に、個人的な悲劇が普遍的な悲しみと浄化にまで高められた−マーラーの悲しみが、去ってゆかざるを得ない者の悲しみであるのに対し、シュトラウスの悲しみは、最も愛する者達を喪っていってなお苦々しく生きてゆかねばならぬ悲しみであるという違いはあるにせよ−偉大な精神的遺産となったのである。
曲は副題にあるように23のソリストによる絃樂アンサンブルという全く異色の編成からなるもので、敢えてリヒャルト・シュトラウスが試作と名づけたのも形式的に理解出来ないものではない。曲はトリスタンとイゾルデを思わせるチェロの暗澹たる旋律に始まる。それに導かれたヴィオラによる葬送を思わせる中心主題が次第に高まった後、しばしの麗しい回想が現れ情熱的に盛り上っていった頂点に、突然陶然たる芸術境がヴィオラとチェロの悲痛な叫びを遺して断ち切られるや、冷酷な現実が圧倒的な冒頭動機の回帰で立ちはだかる。其の中から身悶えしつつ切々とヴァイオリンが歌いかける間もなく、最後の決定的な運命の一撃の如く今一度冒頭動機が鳴り響く。最早息も絶え絶えに変奏が繰り返される中、最後の最後に中心主題が低弦によって遂に其の本当の姿−ベートーヴェン第三交響曲の第二楽章葬送行進曲−を現し唯一度のみ奏されて、涙さえ涸れ果てた虚無の闇黒に消えて行く。
個人的な話で恐縮ではあるが、筆者は昨年末に約十年の歳月を過ごした東京を去り帰郷した。幸い本日の演奏会ではかつての「戦友」と共演出来る事にはなったが、最早この様な僥倖は幾らもあるまい。そして極めて近い将来、その僥倖にも二度と恵まれなくなる時が来よう。何気ないものである筈だった一回一回の合奏が自分にとってはこの上なく尊い。実際に死刑宣告をされた事があるドストイエーフスキィが「白痴」の中で語った、刑場に引き出される間の死刑囚が馬車の外に見える最早二度と見る事の出来ぬであろう美しい自然を貪り見つめる心持ちさえひどく身近に感ぜられ、又、マーラーの第九のスケッチにある胸をかきむしらんばかりの嘆き「おお我が消え去った青春の日よ」や、リヒャルト・シュトラウスの本曲における苦い沈潜に至っては、演奏する度、耳傾ける度、自らの境涯と重ね合わせずにはおられない。
精神界の巨人達の苦悩を持ち出すのは些かならず僭越にして牽強付会に過ぎる事は痛い程わかっているし、往々に自らの感性がセンティメンタル過剰に堕する事も十分承知しているのだが、この気持ちは如何ともし難い。音楽をかくも主情的に受け止めてしまう事は演奏者としては寧ろ禁忌であるかも解らないのだが、畢竟演奏行為というのは、ことに我々の如きアマチュアであったれば、冷静な人の眼に青臭く映ろうとも、眼前の音楽を自らの全存在で誠実に受け止めきれるや否や、そして自らの演奏行為に命を懸けられるや否や、にかかっているのではあるまいか。
筆者は音楽行為とは作曲であれ、演奏であれ、真の信仰者が其の対象に全霊を傾けて帰依するのと同じ誠実さ、厳しさ−それはシモーヌ・ヴェイユが「魂」と信仰とのあり方について抱いた観念と殆ど同義であるべきである−をもってすべきもの、いやそうでなければそれは最早音楽行為では有り得ぬと確信している。そして弊団の演奏精神がその極点に達し得たとすれば、たとえ聴衆の皆様にご満足を戴けなかったとしても、それ以上は少なくとも現段階の我々にとって望み得ぬ境地であることになろう。本日は金子先生の熱血滾るタクトのもと、奏者一同、その極点に達する、そしてこれが生涯最後の演奏となっても後悔せぬと断言出来る演奏を目指す覚悟である。