花火 第4回演奏会プログラムノート

コルンゴルト:弦楽六重奏曲ニ長調作品10(弦楽合奏版)

文:高橋 広(Vn)

かつて、弊団総帥O嶋師が深夜のスナックで我々居並ぶ舎弟集団を前に傲然と言い放った言葉がある(当人は覚えておられないだろうが実話です−ただ僕もどこのスナックだったか不覚にも失念致しました)。「あらゆる時代の作曲家の中で最高の天才少年作曲家だったのはモォツァルトとショスタコーヴィチである。」というのがそれである。勿論後年の大成ぶりを考えればその言葉に間違いがあろう筈がないが(あと、メンデルスゾーンもこの際涙を呑んで外すとして)、この二人を凌駕する、そういって破天荒に聞こえると言われるとしても控えめにいって匹敵する作曲家が20世紀に存在している。とまぁ、ここまで書けば、どれだけ本日お越しの皆様が、意図的に察しが悪いふりをしようとしてなさったとしても、筆者が誰の事を書こうとしているのか、もう一目瞭然であろう。そう、それぞ正にエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)その人である。

時代的にみれば、かの大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの30年後に生まれ、トスカニーニと同じ年に没し、活躍の時期はマーラー、R.シュトラウスに次ぐアルノルト・シェーンベルク一派の新ヴィーン楽派とほぼ重なっている。しかし、ほんの十数年前まではコルンゴルトといっても、ハイフェッツがとてつもないテクニックを駆使して録音し一躍有名にしたヴァイオリン協奏曲と、あとはせいぜいラインスドルフが豪華布陣で録音した歌劇「死の都」程度のみが知られている位、或いは一部の映画音楽マニアから「シー・ホーク」やら「風雲児アドヴァース」の圧倒的なスケールの付随音楽を作曲した、いうなればクラシック崩れの映画音楽作曲家くらいにしか知られていなかったというのが実状であり、現在のコルンゴルト・ルネサンスからすれば、この空白の時代は隔世の感がある。

しかし最近になってようやく再評価されているような程度の、そんな作曲家のどこがモォツァルトさえも凌駕する天才少年だというのか、とコルンゴルティアン以外の皆様は問われるであろう(コルンゴルトの音楽を知った者は皆恐るべき天才コルンゴルトの魅力にとりつかれ、必ずやコルンゴルティアンと化すであろうから、要するにその問いを発するのはコルンゴルトの音楽をまだ耳にしたことのない気の毒な方々に限られるであろうが)。しかし以下に列挙するほんの幾つかの例だけで、この人物がどれだけドエライ天才であったかが分かるであろう。

彼が僅か9歳の時に作曲したカンタータは当時のヴィーン楽壇の指導者であったマーラーを「(彼には)もう音楽学校も練習問題もいらない!」と叫ばせ、11歳の時に作曲した「雪だるま」は最後の輝きを放っていたハプスブルク帝國の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の命名祝日のガラ・コンサートで演奏される栄誉に恵まれたのみならず満場の圧倒的な好評をもって迎えられ、同じ年に作曲されたピアノソナタ第一はリヒャルト・シュトラウスをして「これが十一歳の子の手になるものだと知って、最初に襲ってくるのは(中略)戦慄と恐怖です(後述早崎氏著書より引用)」とまで言わしめたのである。

更に20歳前後で作曲した3番目の歌劇「死の都」に至っては、なんとハンブルクとケルンの2大音楽都市で同時初演され圧倒的な成功を収めるという離れ業まで達成してのけたのである(オペラ上演というのは、トリスタンの初演が数十回のリハーサルの後に断念された事やヴォツェックが天才父クライバーをもってしても70数回のリハーサルのもと漸く上演に漕ぎ着けられた事例などを持ち出すまでもなく、恐ろしく金と手間がかかるものであり、ましてやそれが新作ともなれば成功する保証など何もなく、失敗した時の経済的なリスク(当然すぐ打ち切りとなりそれまでの投資と努力がまるっきり無駄になる)というのは甚大である。それが同時に2ヶ所で上演されたというのは余程興行主が成功を確信していなければ、そもそも実現し得ないものである、とんでもないレアケースであるのがお分かり頂けるだろうか!)

かつこの歌劇は僅か16年の間にヨーロッパの83の歌劇場でスタンダードの上演演目となったのだから何とも痛快ではないか(因みに筆者は新婚旅行の行く先に「死の都」の新演出のプレミエ公演が上演されるという理由だけでケルンを加えたものである。先行する旅程での浪費が響き、その素晴らしい上演の後、歌劇場で売っていた「死の都」のヴォーカルスコア購入を妻にダメ出しされた事は、筆者の後半生を暗く彩るトラウマとなっている。そんな事はコルンゴルトとは何の関係もないが、とはいっても純朴な?青年をここまで熱くさせるだけの魔力が彼の音楽に秘められている事は間違いない事実である)

兎に角、彼の音楽はゴージャスな楽しさに満ち溢れ、かつ大変な親しみやすさを持ちながら大胆な書法をもって書かれ、しかも内容的な深さを疎かにしていない。陳腐極まりない言い方だが、デラックスな現代のモォツァルト、といえば彼の多面的な魅力のほんの一端でも伝え得る事になるのかもしれない。

ではそれほどまでの実力者、コルンゴルトが何故長い間忘れられた存在になっていたのか。これには彼には実に気の毒な4つの要因が挙げられるだろう。それは父親の存在、ユダヤ民族の血、彼が活路を求めた映画音楽の当時の地位の低さ、時代様式のずれ、である。

まず第一点であるが、彼の父は、ヴァーグナーと反目したことで知られ今でもその著書「音楽美論」は岩波文庫で読む事が可能な(絶版かもしれませんが ISBN:4-0-0335031-6)エドゥアルト・ハンスリックが自ら後継者に指定した、ヴィーン音楽批評界の大御所、ユリウス・コルンゴルトであった。彼はマーラーのヴィーン歌劇場監督時代の末期、反ユダヤの攻勢にいとも安易に乗せられて反マーラーの論陣を張った殆ど全てのヴィーン楽壇に断乎反対し最後までマーラーを擁護し続けた具眼の士にして硬骨漢であり(こういう事は実際滅多に出来るものではない。戦後のイタリアマフィアとユダヤ人の支配する音楽的マッカーシズム(といってもこちらは本家と違い赤狩りというよりナチ狩りの色彩が濃いが)吹き荒れるアメリカ楽壇で、第三帝国にギリギリまで留まったフルトヴェングラーを敢然と擁護し得たのはブルーノ・ヴァルターとイェフディ・メニューインだけであった)、その彼がミドルネームにモォツァルトにあやかったヴォルフガングをつけた息子エーリヒに理想的な音楽教育を授け、それが少なくとも息子の華々しいキャリアのスタートラインにまたとない助走をつけた事は紛れもない事実である。

しかし同時に偉大な論壇の重鎮である父親が、時代様式としては徐々に過去のものになりつつあった豊潤極まりない息子の作品を口を極めて絶賛し、返す刀でほぼ同時に初演されたジャズにインスパイアされたクルシェネクの手になる当時の最も先鋭的なオペラ「ジョニーは演奏する」を激烈に批判すればするほど、息子エーリヒは、ジャズや新ヴィーン楽派などの新しい音楽を奉ずる人々から、極めて感情的な、純粋な音楽内容に対する反応以外の要素を孕んだ厳しい批判を浴びる事となり、それが息子エーリヒの迷いを生んでしまうこととなった。それが証拠に彼は4番目の歌劇にして最大傑作である「ヘリアーネの奇跡」以降、爛熟の浪漫派歌劇にたち帰る事はなく、その原因の少なからぬ部分が父親の責に帰せられるのはほぼ疑いを容れないところなのである。

第二点はこれは言うまでもない事だが、先にあげたように初演後僅か16年で欧州歌劇場を制圧した彼の作品は、ユダヤ人の作品というただそれだけの理由で(後付けの理由は色々あるだろうが)ナチスにより退廃音楽に指定され、第三帝國サイドで演奏を禁止され、彼とその家族は命からがらアメリカに逃れようやく命ばかりは助かったという始末であった事が挙げられる。これは彼に限らないが、ナチスの文化政策により本来受けるべき栄光を受け取る事なく埋もれていった芸術家がどれだけ多かった事か。これによってコルンゴルトの受容史は少なくともあるべき姿よりも20年は遅れる事となったであろう。

更に生活の為、同じく亡命していたドイツ劇壇の大物マックス・ラインハルトに誘われ映画音楽の道に進んだ彼はメンデルスゾーンの音楽をベースにした「真夏の夜の夢」を皮切りに「海賊ブラッド」「ロビンフッドの大冒険」「シーホーク」などの活劇映画の素晴らしい付随音楽を作曲し、映画音楽の歴史に一大転換点をもたらした。後年の特にハリウッド映画の壮麗な付随音楽はいまだに彼の影響下にあるといっても過言ではない程である。しかし映画音楽のパイオニアとなった事は、当時にあってはクラシックの作曲家として何ら益するところはなく、むしろ偉大な「芸術家」としてのコルンゴルトにとっては映画音楽に手を染めた事は一種の自殺行為のように解釈され、ようやく戦後期待に胸を膨らませ故郷に戻った彼への信じられないような冷遇となったのである。

(だが、彼の映画音楽への進出は非難されるべき事であろうか?シェーンベルクでさえ亡命したアメリカではまともに食っていけず、ブラームスのピアノ四重奏の管弦楽編曲を行ったり、音楽教育書の執筆を行ったり、十二音技法をモデルにした小説「ファウスト博士」を書いたトーマス・マンを訴えてみたり(最後のは余計な事ですが)して、どうにかこうにか食いつないでいった訳であるし、「死の都」の初演のタクトをとった大指揮者クレンペラーもアメリカで指揮者として食っていけず、戦後着の身着のままヨーロッパに逃げ帰り、バルトークに到っては、彼の音楽を受け入れられるだけ成熟していなかったアメリカで、餓死同様に死んでいったのである。そんな中、知己であったラインハルトの要請を受けたとはいえ、食べていく為にコルンゴルトが映画音楽に進んだ事は賞賛されるべきではあっても、決して後ろ指を刺される行為ではないと筆者は考えている。)

そして最後の時代様式のずれである。史実に「ればたら」を持ち出すのはナンセンスとわかってはいても、彼がもう2、30年早く生まれていたら、R.シュトラウスと並ぶドイツロマン派の最後で最高の歌劇作曲家としてその栄名は存命中から大いに讃えられていた事は殆ど確実である。が、彼はシェーンベルク、ベルク達が十二音技法を編み出しそれが受け入れられていく時代、ジャズがヨーロッパ音楽にも甚大な影響を与えた時代に活躍しなければならなかった。

暗澹たる色調のローデンバックの原作を甘美に再構成した代表作「死の都」の最も有名な二つのアリア「マリエッタのリュートのアリア」と「ピエロのアリア」が熱狂的に受け入れられたのは、その歌詞もさることながら、初演直前に崩壊したハプスブルク帝國への堪らないほど切ない憧憬を引き起こす退嬰的な魔力ゆえであった。それは甘美なレクイエムと言えるかも知れない。そしてその音楽は限りなく豊かであるが故に、生活がどん底までは落ちきっていなかった、ハプスブルク時代を懐かしむ両大戦間の人々の甘い郷愁を呼び起こし歓呼を受けたのである。

そんな彼の作品が、二つの世界大戦を経て瓦礫と化したヴィーンの街でその街並み以上に心が傷つき、疲弊しきった聴衆(第一次大戦後、それまで独墺には存在しなかった所謂「塹壕世代」―芸術においても日常においても最早既存の安定的秩序に安住出来ない「不安の時代」の申し子たち―それはコルンゴルトが最高度に受容されるハプスブルク帝國的秩序に敵対する人々である−が登場しその一団の人々は表現主義の隆盛を強烈に後押ししたが、第二次大戦を経た人々はそれら「塹壕世代」の比ではない恐怖、苦悩、飢餓に悩まされていたのだった。コルンゴルトの音楽のあり方が「塹壕世代」をも超えた彼らにとって全く乖離したものとなってしまっていたのは痛ましい事だが余りにも明白だったのである)に受け入れられ、絶賛を浴びる筈などなかったのであった(コルンゴルトがこの渡欧の際に、ヴィーンで自らタクトをとった「死の都」の例の有名な両アリアの録音が遺されている。それはそれは切なく懐古的な音楽であり演奏である。しかし廃墟と化したヨーロッパで、かつて彼を讃仰した人々から冷たくあしらわれ、ヨーロッパ復帰への最後の夢を断たれた彼は、どんな気持ちでこの時タクトを振っていたであろうか。感傷的に過ぎるかもしれないが筆者はこの演奏を聴く度、その時のコルンゴルトの気持ちに想いを馳せ、涙を禁じ得ない)

コルンゴルトへの至純の愛に貫かれた日本が世界に誇るべきコルンゴルト伝の名著、早崎隆志氏著「コルンゴルトとその時代」(みすず書房 ISBN:4-622-04416-1)の副題が「“現代”に翻弄された天才作曲家」となっているのは正に言いえて妙であった。

しかし、幸いな事に我々は彼の音楽をそんな不幸な時代背景を伴わずに鑑賞出来る立場にある。今我々が「これはクルシェネクと同時代の作品であるにしては余りにも浪漫派的に過ぎるので聴く価値がない」だとか「シェーンベルクに比して前衛性の点で見劣りがするから駄目だ」などといって斥け、この素晴らしい世界に足を踏み入れないとすれば、そんな愚かで勿体無い話はない。マーラーやリヒャルト・シュトラウスの最高水準の作品をもってしてさえも、これ以上に絢爛たる管弦楽技法の妙技を味わうのは困難であろう。折角のフルコースを目の前にしてめざしや納豆で武士は食わねど、と力みかえる必要などない。四の五の言わず、存分にその豪華な美しさ、楽しさを享受すればよいのである。

本日演奏される弦楽六重奏曲は、彼の「奇跡の少年 Wunderkind」時代のラストを飾る(17-19歳の時作曲)作品である。甘美な第一楽章、「死の都」の愁いを思わせる第二楽章、精妙な第三楽章「間奏曲」を経てスリリングで躍動感に満ちた終楽章で結ばれる四楽章形式からなる(演奏時間約35分)。この曲はただでさえ同じ弦楽六重奏曲であるブラームスの2曲やシェーンベルクの「浄められたる夜」に並ぶ素晴らしい傑作であるのみならず(しかもこの曲は筆者が最も尊敬するヴァイオリニスト、アルノルト・ロゼ率いるロゼ四重奏団を母体にして初演がなされているのである!)、今回は本日の為に我らがマエストロ金子が特別に弦楽合奏用に編曲された豪華版の(当然)世界初演なのである。なんという贅沢、なんという快楽!!プレイヤーとして本日参加できないのは誠に痛恨ではあるが、この(ちょっと大袈裟ですが)世界的な音楽的事件といえる弦楽合奏版の世界初演の場に聴衆として立ち会える事に大いなる喜びを感じるものである。そしてこれは決して大袈裟でなく、筆者は一介のアマチュア団体が、目的の為の目的(珍曲を日本初演する事で名をあげようとする浅ましい行為)としてでなく、心から楽しむ為にコルンゴルトのいまだマイナーな名曲を取り上げ、いとも易々と(いや、ここだけはちょいと怪しい)弦楽合奏版の世界初演をしてしまう、という素敵な事実を前にして、日本の愛好家の飽く事なき最良最高の好奇心への賛嘆と、コルンゴルト受容もここまで来たか、という混じり気のない感動を覚えずにはいられないのであります。金子先生始め演奏者の皆さん、今日はとことん楽しませてもらいますよ。

(演奏会に参加出来なかった事を今回ほど悔しく思った事はないピロシ)