花火 第5回演奏会プログラムノート
L.v.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 作品135
曲の成立
この曲は、完成前年には映画アマデウスで有名なサリエリが没し、当年はウェーバーが没し、翌年にはベートーヴェン本人が没し、翌々年にはシューベルトが没するという、音楽史上の有名人物が相次いでこの世から去るという1826年に作曲されました。第14番と番号は付いていますが作曲の順番としては15番、13番、14番、16番の順で作られたので弦楽四重奏というジャンルでは最後から2つめの曲といえます。
曲の特徴
この14番は全楽章を切れ目なく演奏されます。CDだと人工的な無音が間に入ったりもしますが、生演奏では楽章間に存在する緊張感のある「間(ま)」も楽しみの一つといえるかもしれません。
また弦楽四重奏曲はハイドン以降通常4つの楽章で構成されていますが、この14番の大きな特徴として7つの楽章からなっていることが挙げられます。15番は5楽章で13番では6楽章と、作曲順に楽章を増やしており、この時期、多楽章形式による弦楽四重奏曲の試みをしていたことが見えてきます。こういった4楽章以上ある弦楽四重奏曲の例は、ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」が7つの言葉に沿って7つの楽章で構成されるという曲の他、少数しか存在しません。
ただし、この14番では1・2楽章、3・4楽章、5楽章、6・7楽章というように大きな4楽章形式として捉えたりするなど、7楽章とは異なって解釈することもできるようです。
本日の編曲
本日演奏いたしますのは、弦楽四重奏用に作られた曲を弦楽合奏用に編曲したものです。作曲者本人が弦楽合奏にした例としてはチャイコフスキーが友人のために弦楽四重奏曲第1番の2楽章「アンダンテ・カンタービレ」をチェロと弦楽合奏用に編曲したものやシェーンベルクの弦楽六重奏曲「浄夜」などがありますが、多くは他の人の手によって編曲されています。ヴィオラ奏者でもあり指揮者でもあるバルシャイはショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲第8番を編曲しましたし、マーラーもシューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」やベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」を編曲しています。本日演奏しますベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番はミトロプーロス編曲によるものが有名ですが、今回は当アンサンブルの常任指揮者でもある音楽評論家の金子建志が編曲した版を初公演いたします。
これら弦楽四重奏曲から弦楽アンサンブルへの編曲版は、(1)各パートを数人で弾くことにより弦楽四重奏版よりも音に厚みが増す、(2)コントラバスパートが加わることで音域と音色の幅が格段に広がる、(3)各声部にソロパート(一人で弾く)の場所とトゥッティパート(全員で弾く)の場所を設けることで響きに変化をつけられる、というメリットがあります。ただ反面で、もともと4人でやる時ですら骨子を組み上げるだけでも難しい曲なのに、人数が増えることによって精緻なアンサンブルを作ることがより難しくなるというデメリット(本日の演奏に対する言い訳ともいう)があるため、非常に集中力を要することになります。本日の演奏が、原曲をご存知の方にも楽しんでいただける演奏であったらと思います。
各楽章の解説
解説を書いている筆者自体、実はよくわからないこの曲。初めて聴かれる方にも各楽章のキャラクターを楽しんでいただくため、各楽章に勝手に小題をつけてしまいました。ごめんね、ルートヴィヒ。
- 第1楽章「この空虚な気持ち」嬰ハ短調
冒頭1小節であらわれる短い上昇音形。クレッシェンドを伴うも、すぐに否定されてへなへなと地面に落ちてしまう。各楽器がそれぞれに試みるも無力。それでは、と全員で時間をかけてにじり寄るもやはり潰されていってしまう。今後の世界観に暗い影を落とすプロローグ。
- 第2楽章「疾走する喜び」ニ長調
そんな先行きを感じさせられようと、現実ではうって変わって歓楽に溢れた世界なのさ。あぁ楽しい。
- 第3楽章「暗い影〜ソリストの展示会」ロ短調
楽しい最中にふと忍び寄る影。ここでは金子版として各楽器の主席奏者にソロが用意されています。でも結局最後のおいしい所は第1ヴァイオリンが持っていくんですけどね。ところで、山田耕筰の著書の中に耕筰の意見も聞きいれず、死ぬまで「第2ヴァイオリン」なるものを捜し求めた男の話が載っていますが、「第1ヴァイオリン」という楽器も「第2ヴァイオリン」という楽器も、楽器自体には違いはありません。もし「第2ヴァイオリン」があったとして死ぬまで第2ヴァイオリンしか弾けない演奏者がいたとしたらそれもまたヴァイオリニストとしては涙を誘う話ですね。
- 第4楽章「穏やかな人生〜だまし絵」イ長調
平和の続いた幸せ。最期に自分の人生を振り返った時に思い出すのはこのような何気ない日常かもしれない。伴侶と語らいあった愛。街で見掛けた兵隊さんたちのかっこいい行進。旅先の南の島での美しい潮騒と静かな時間の流れ。
この楽章の始まりを聴いて8分休符を感じられた方はまさしく音楽家です。通常はその後の4分音符から拍をカウントしてしまうんじゃないでしょうか。そういう「だまし絵」のような細工がされています。この曲の中で一番長い演奏時間を持つこの楽章ですが、お願いですので寝ないで下さいね。この先からがこの曲のクライマックスですよ。
- 第5楽章「絶頂」ホ長調
うきうき! 低弦から始まる4音にはこの4文字が似合う。始終このうきうきリズムに乗れて楽しいぞ! この絶頂はいつまでも続くもんだと思ってたよ。この時まではね。
この楽章の白眉は終盤に出てくるスル・ポンティチェロ(駒近くを演奏して特殊な倍音を引き出し、金属的な響きを作り出す奏法)! この時代にこの奏法を取り入れた曲を作るというのはかなり前衛的です。
- 第6楽章「悪い予感」嬰ト短調
なぜ葬送音楽を鳴らすんだい?こんなに楽しかったのに。
- 第7楽章「息詰まる緊張感」嬰ハ短調
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死神の大鎌で首を切り落とされるかのようなザンッ!!という脅迫の後、しばしの無言。ダララッ!ダララッ!と畳み掛けた後のしばしの無言。泡毛立つこの皮膚によって、その鋭い眼光が何を言わんとしているかを理解する。後から後から追い立ててくる逃げ場のないリズム。
虚しさを覚えた第1楽章の音形がこの恐怖から逃れようとまた出てくる。そうか、あらかじめこの結末を予想してプロローグに出てきていたのか。こうなることが分かっていたから、楽しい生活(第2,4,5楽章)を送りながらも常に不安(第1,3,6楽章)に付き纏われていたんだな。あぁもうだめだ! 逃れようと繰り出す上昇音形は、ことごとく下降音形によって闇の中に引きづり降ろされてしまう。ここで力尽きるのか…。
気持ちが折れそうになった時に雲間から一条の光が射し込む。ん?まだ自分には救われる道が残されているかもしれない。最後に残った力を振り絞って、下降音形を打ち消し、上昇音形で埋めていく。上昇音形。上昇音形。やがておとずれる救いを目指して。
嬰ハ短調は4つのシャープ(半音あげる記号)のつく調合です。ドイツ語ではシャープのことをクロス(十字架)と言います。筆者の勝手な私見ですが、ベートーヴェンはこの曲の第1,第3,第6,第7楽章という不安や絶望をあらわす4つの短調の楽章に、嬰ハ短調の4つのクロス(シャープ)を一つずつ授け、その不安と絶望に救いを与えようとしたのではないかと思っています。