愛の告白それとも冗長な情報

コミュニケーションとはある媒体(メディア)を通じてメッセージを交換する行為だ(*注)。メディアとは人間の声や身体も含めていうのだが、たとえばこれをメディアとした私たちの会話というコミュニケーションは、じつは言葉そのもの以外に、様々なメッセージをやりとりしている。たとえば「好きだ」という告白は、この3文字以上に表情、声の調子などが重要な意味を持つ。「キライ」という言葉は状況やニュアンスによっては全く逆の意味になるかもしれない。手紙やFAXの場合も、字の書き方、便箋や用紙の選び方などが、言外のさまざまなメッセージを伝えている。

言葉そのものが示す内容を必要最小限の情報とすれば、これらはいわば冗長な情報だ。しかしこのような冗長性を含むことにより、会話は要件を伝えるだけのものではなく、豊富なニュアンス持つコミュニケーションとして成立している。

電子メールという仕組みは、デジタルデータを媒体に使い、これらの冗長性を捨象することで効率的なコミュニケーションを実現しようとしてきた。電子メールは基本的に文字データだけのメッセージである。ここには手書きのニュアンスや便箋の違いなどの付加情報はなく、純粋にコードとしての文字データがやり取りされるだけだ。つまり、電子メールの場合は、私たちの通常のコミュニケーションから非効率的な要素を取り去り、文字だけに情報を抽象化している。この抽象化によって、どんなコンピュータで受信しても確実にメッセージが再現できるようになり、また前節のようなメリットが生み出されているわけだ。

効率的な一方で、このような無駄を省いたコミュニケーションでは、ちょっとした一言が思わぬ軋轢を生んでしまう危険がある。文字に書かれたことがすべてで補完情報がないため、一字一句の言いまわしが相対的に大きな意味を帯びてくるからだ。気心の知れた相手のメールですら、ニュアンスが分からず戸惑いを覚えることがある。ましてや仕事だけの付き合いでは、無神経な文面が予想外の悪印象を与えかねない。おまけにこれは「文書」の特徴として、いつまでも痕跡をとどめてしまう。

意外にこうした電子メールの特質は見落とされがちだ。メーリングリストなどでは、電子メールが従来型のコミュニケーションと異なるということを忘れたときに、フレーム(メールでの罵り合い)が生じる場合が多い。

生まれたばかりのコミュニケーション手段である電子メールでは、まだ社会的なルールや共通認識が確立していない。抽象化されているぶん、想像力を働かせて相手の立場を思いやってメッセージを送るということが一層重要になる。どういうことかって? どうやったら電子メールで愛を告白できるか考えてみればよいのだ。

(注)

コミュニケーションの定義はもっと複雑で多様なものだが、ここでは簡略化して用いる。情報理論では、「情報源→送り手(符号化)→経路(+ノイズ)→受け手(復号化)→到達点」というコミュニケーション・モデルが用いられる。情報源、到達点を利用者、送り手と受け手をメールソフトとすれば、これはまさに電子メールの送信そのものといえる。

『プロフェッショナル電子メール』プロローグより