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2025-12-23
- 野口良平「列島哲学史」を読んだ。哲学を「対話を通して、自分の視野を育て、態度を整えていく努力。またその努力を支えうる方法」と定義し、I.漢字+ひらがなの日本語生成まで~III.口語文生成以降に分け、さまざまな文学を例に引きながら、中国からアメリカに至る中央=言葉を持つ優位者と辺境=言葉を持たない劣位者の対比という視点で述べる。鶴見俊輔、加藤典洋、橋本治らを特に初期について引用し、加藤周一の序説に近い流れで進むのはよく整理された復習という感じもあったが、清少納言、紫式部、兼好法師らの言葉から考えたり、IIIあたりでは独自の踏み込みも見せ、伊丹万作の「だまされることは、それ自体が悪である」という言葉で戦争を問うあたり、現代にも直結する (original post at )
- ルチアーノ・ベリオの「Vn二重奏曲集」を、マリア・ミルシテイン+マティウ・ファン・ベレンの演奏で。短いものは30秒ほどという34曲の教育向け二重奏は素朴なものから前衛的な難曲までさまざまながらそれらに含まれる潜在力をワイルドなタッチで引き出す。併録バルトークの「44の二重奏曲」は民謡に基づくが多彩な要素を含む。順番に難易度が増すという各曲を1番からと26番からほぼ交互に置いてちょっと異なる風景を見せる。Channel Classics CCS47425 #nml (original post at )
2025-12-22
- 朝日の12/20-21電話世論調査で高市内閣支持率は68%(不支持19%)で10月68%、11月69%の水準を維持。同日の毎日調査でも支持率は67%。首相の対中姿勢を評価するが55%、物価高対応を評価するが46%。毎日では年収の壁の引き上げを評価するが57%、補正予算が物価高対策として有効+ある程度有効が43%。周囲では対中姿勢も官邸の核保有発言も問題視する声ばかりなのに、まるで別世界みたいだが、世界の中で大丈夫なのか(☞参照) (original post at )
- 唐茄子の昨日を思う冬至かな (original post at )
2025-12-21
- 水鳥のすまし顔と悪戯もの (original post at )
- ルチアーノ・ベリオの「シンクロニー」を、モリナーリ四重奏団の演奏で。冷徹な音で4者が「同じことを異なる方法で同時に語る」ようにしてさまざまな部分が構成されていく1964年の第2SQ。「習作」はウェーベルンの影響が濃い52年の初期SQ。56年の「弦楽四重奏曲」は12音のセリーを用い短い断片が目まぐるしく入れ替わる。「夜想曲」は92年の弦楽四重奏曲第3番で4楽器が束になって身を翻しつつ語られぬ言葉を紡いでいく。「グロッセ」は94年の最後のSQでPizzの和音の間を縫うように生まれた音の束が広がりつつ語り終えぬまま消えていく。充実の全集。ATMA Classique 00722056480529 #nml (original post at )
2025-12-20
- NYTimesからArt on the Wall That Echoes Protests From the Streets ニューヨークでニコール・アイゼンマンの展覧会「STY」が開催されている。展示作品はアーティストとコレクターの関係、そしてファシズム下で創作する芸術家の役割に焦点を当てる (original post at )
- 万両の赤を結び踊る軌跡 (original post at )
- 佐藤雅彦「作り方を作る」を読んだ。前半は革新的なCM制作を“表現方法ルール”(濁音時代、リップシンクロ、音が映像を規定、新しい構造など)に基づいて整理分析する。馴染み深い分野でもありその方法論は感動的ですらある。後半はそこで見えてきた“トーン”という世界観を教育に結びつけての展開。ここからピタゴラスイッチも生まれてくる。共通するのはいかに“分かるように”“伝わるように”するかという視点。これはものすごく学ぶことが多い。横浜での展覧会図録だということで、制作の発想やプロジェクトが説明されるが作品の内容紹介はなく、行かなかったことが悔やまれる。コンテンツの多くはYoutubeなどでも見ることができるので、これらで勉強し直すかな (original post at )
2025-12-19
- 北村紗衣「学校では教えてくれないシェイクスピア」を読んだ。武蔵と麻布の高校生14名を対象にした5日間の集中クラスで、実際の演劇や映画の翻案の例を豊富に引きながら、沙翁の生涯、ロミオとジュリエットやオセローを軸にした作品、当時の英語そして観客などの環境を身近に引き寄せて捉え、人種差別やジェンダーなどを現代のものとしても考え、さらに自分たちで演出プランを考え批評を書いて相互に意見を述べるに至る授業の生き生きとした記録。具体的で面白いし高校生の議論も光る。戯曲というものの持つ力や可能性も再認識させられる (original post at )
- 網膜の境界を越え寒昴 (original post at )
2025-12-18
- 空の海に悠々游ぐ冬の月 (original post at )
- 智美術館「第11回菊池ビエンナーレ」に行ってきた。大賞の中根楽《境界の思考》は巨大な塊でふーんという感じ。奨励賞の石田和也《備前磁器壺》、同ダニエル・チャウ《Narrative》は分かりやすい。若林和恵の銀漆彩陶筥《そらのうみに》は見事だと思ったら前回の大賞受賞者だった。高橋朋子の五金彩器《游ぐ月》は精緻で美しい。ほか若月バウマン・ルミ《Dialogue》、川瀬理央《刻》、酒井智也《Barune & Cereth》、青木岳文《Vessel》など。回を重ねて常連さんもけっこういるようだ (original post at )
- スカイピラミデ「ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ Dialogue Manual」に行ってきた。枝に雪をまとった樹木の絵画がいくつかと梯子に雪の塊を置いたような彫刻らしきもの。先日のインスタレーションとどうつながるのかよく分からず。続けてTake Ninagawaで大竹伸朗「網膜」展。“廃棄されるはずだった露光テストフィルムを着想源として、そこに残る光の跡を大きく引き延ばし、透明のウレタン樹脂を塗布して作品化”だそうで《鬼火》《漠悸2》《巨岩塊》など偶然の奇妙な有機的構図の中に狙ったかのような細部があって面白い。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催されていた「網膜」展に“呼応”とされ、15点と規模は小さいながら充分堪能できる (original post at )
- 能勢剛「「しあわせな空間」をつくろう。」を読んだ。サブタイトルに「乃村工藝社の一所懸命な人たち」とある通り、同社が手掛けた13の空間開発プロジェクトを、特に担当者に焦点をあてて紹介するもの。丸の内の街路公園、菊池市中央図書館、福井県年縞博物館など興味深い企画が多くさすが乃村という仕事が並ぶ。しかし記述内容は発言の引用をつなぐだけで筆者の論点はなく、写真も豊富な割に担当者の顔とか肝心の空間絵も資料性よりイメージ重視。PR誌の記事としてならそれぞれ充分に面白い。が、1冊にまとめるならせめて空間開発の可能性と課題を客観的に捉える総論などが欲しい…いや、そもそもの趣旨が違うので無いものねだりは野暮かな (original post at )
2025-12-17
- 福地毅彦「伊藤熊太郎」を読んだ。古書店で出会った「魚譜」に描かれた金魚図譜からその作者の来歴を追うことになった愛好家による評伝。豊富な図版も収録。博物画の作者は画家ではなく画工とされ、作品に署名もなければ著作物としても扱われていなかった時代の天才について調べるのは容易ではないが、文書館、博物館から海外にまで問い合わせをして情報を組み立てていくのは天晴。何となく神坂雪佳の「金魚玉図」のようなものを思い浮かべていたが、全く違う超精密画で、確かにかつての図鑑はこんな感じの図版があった。これが芸術かと言われると答えに窮するものの、アートである(言葉の意味からして)とは言えるだろう (original post at )
- 冬空を切裂き走る子自転車 (original post at )
- TheAtlanticからI Am Time Magazine’s Person of the Year タイム誌の「年の人」にAIの立役者(architects)が選ばれた。それはよく知られた名前だけでなく読者みながそうである。なぜならLLMはウェブ上の膨大なデータを取り込んでできており、何らかの発信をしていればその材料となっているから。そしてその収集は著作権の問題をはらみ法的責任のみならず存在論的側面の議論にもなっている(が、タイムの特集記事では著作権という言葉は出てこない) (original post at )
2025-12-16
- 11月のDAショートトークで思いがけず再会したOさんと博覧会DBについて意見交換のためN社訪問。いろいろ可能性のありそうなテーマでどんな展開になるか楽しみ。開放的なスペースや資料の充実した社内ライブラリも拝見して有意義な時間であった (original post at )
- くずれゆく寸前の冬の夕焼け (original post at )
- パナソニック汐留美術館「ウィーン・スタイル ビーダーマイヤーと世紀末」展に行ってきた。ヤーコプ・クラウタウアーの銀器とかヨーゼフ・ホフマンのさまざまなデザイン、ココシュカの《アルマ・マーラーの肖像》とかフェリーチェ・リックス(後の上野リチ)の型紙《そらまめ》とか、なかなか良かった。さらに「ウィーン・エコーズ」と題してスタイルを継承したという現代のフリードル・ホルツァー=チェルベリ、ルーシー・リーなども興味深い。タイトルでは食指が動かなかったのだが、CGに聞いたら「20世紀の破壊が起きる直前の、極度に洗練された停滞」という視点を提案されてなるほどと思った (original post at )
2025-12-15
- 蒼天にずっしりとかまえて蜜柑 (original post at )
- 山田圭一「フェイクニュースを哲学する」を読んだ。フェイクニュースとは何か、何が問題か、どう対応すればよいのかについて、他人の言葉/うわさ/誰(どの専門家)を/マスメディア/陰謀論を信じてよいのかという切り口で、主として社会認識論の視点から論じる。当たり前のような話でもあるが、これらを分析している論述や概念の整理をベースに、単純な否定ではなく肯定できる可能性も検討したうえで考え方を提示している。情報の民主化に関する議論や、ポパーからブラザートン、コーディ、カッサムらの論をとりあげ正否両面から検討する陰謀論はなかなか興味深い。意見の多様性は倫理的価値ではあっても認識的価値としてどうみるかということもある。Web of Trustを信頼の連鎖として説明したことを思い出す (original post at )
- スティーヴ・ライヒの「ヤコブの梯子」を、シナジー・ヴォーカルズ+ニューヨーク・フィル+ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの演奏で。旧約「創世記」28章の挿話から“天と地を結ぶ梯子を昇り降りする天使たちの動き”を描くという。16分音符のパターンが反復されながら徐々に変化する。「旅人の祈り」は「創世記」「出エジプト記」「詩篇」からのテキストを用いゆるやかなカノンが薄く瞑想的に展開していく。Nonesuch 075597896619 #nml (original post at )
- 四方田犬彦「零落の賦」を読んだ。「失われた時を求めて」のシャルリュスからギリシャ神話の神々、ニーチェからスウィフト、オスカー・ワイルドにバスター・キートンやルイズ・ブルック、さらに能の「景清」「蝉丸」「卒塔婆小町」から溝口健二による「残菊大輪」を経て後鳥羽院と、栄華から転落していくさまとその描かれ方を丹念に追い、ある種の静かな輝きを浮かび上がらせる。該博な知識を散りばめた縦横無尽の披露にも引き込まれる。「愚行の賦」に続く「賦」三部作の完結編でさすがの読み応え。「摩滅の賦」も読むかな(☞参照) (original post at )
2025-12-14
- 冷たくもかしこき音の降る夜かな (original post at )
- レイコ・フュティングの「自由:何からの―何のための」を、ロングリーシュの演奏で。Pfトリオに声も交えLvB作品1からの半音上下する断片にグリッサンドなどが交錯。「2のための動き/瞬間」はVn+Pfでマーラー他の歌曲の断片。「パッセージ:時間(コピー)」はVnでビーバーやバッハの引用(独奏クックソン)。コラール(追い出される者は来る)はLvB/139を参照するSQで副題はエレミヤ書から。「行為:離れる‐汚れ、から」はCl+Vn+Vc+Pfでシュッツ他に基づきG音を反復強調。「花/距離」はFl、打を加えた合奏で分散音や刻みの上昇が繰り返される。「街から」はCl+SQ+Pfでヨハン・シャインの讃美歌などをもとに半音下降が執拗に繰り返されやがて溶け出す。シュールでクール。New Focus FCR432 #nml (original post at )
- 吉増剛造「詩とは何か」を読んだ。ディラン・トマス、エミリー・ディキンソン、パウル・ツェラン、ジョナス・メカス、萩原朔太郎、田村隆一、吉本隆明、吉岡実、西脇順三郎、さらにカフカやらベケットやらタゴールやらまで動員して、詩における音とか文字とか速度とか濁声を取り出し、さらにモダンジャズやフリージャズとの朗読セッションとか石川九楊の筆蝕とか吉本が罫線を引く「根源乃手」といった表現に踏み込んで詩作を語る。そういうことなんだろうなと思いつつ、クラシック音楽の和声理論がとか半端に踏み込まれて違和感を覚え、距離を置きながら読むことに。60年代的、というのとも違う独特な、しかしたぶん普遍的でもあるだろう断想の数々とその総合というところか (original post at )
2025-12-13
- 冬の野に鍾馗迎えるファンファーレ (original post at )
- 東響737定期をサントリーホールで。指揮は秋山和慶氏が亡くなったためロス・ジェイミー・コリンズ。1曲目マルサリスのVn協奏曲は大谷康子のデビュー50周年も兼ねてだが、脚踏み鳴らしたりソリストが客席に降りたりいろいろ小細工はあるものの何か安易なパッチワークという感じで退屈。ソロも鳴りきらないようなのはホールのせいばかりではないような。メインのコープランド交響曲3番はきめ細かく組み立てられ金管が見事。ベースは頑張っていたが思ったほどは聞こえなかった。終楽章のファンファーレは神々しく盛り上がったが最後もう一息音圧レベルが上がればと欲を言っておこう (original post at )
- 大倉集古館「道釈人物画の世界」に行ってきた。七福神、布袋、羅漢、寒山拾得などおなじみのテーマの水墨画など。雪溪の十六羅漢図4幅とか仙厓義梵や白隠慧鶴の鍾馗図とか。二代葛飾戴斗の4mのは迫力があった。こういう絵ばかりを集めた展示は意外に珍しくて貴重かも (original post at )
- NYTimesからTate Museums Are in Choppy Waters. Now, Their Director Is Leaving.Tate Museums Are in Choppy Waters. Now, Their Director Is Leaving.テート・モダンをはじめとする4館を2017年から率いてきたマリア・バルショウが、コロナ後の観客減は戻りきらず人員削減で館員の士気もこれまでになく低下しているとされる中で退任する。前任のニコラス・セロタを受け、バルショウはより広くの人に芸術をと目標を掲げたが、政治色が強いとも批判されていた。次はよりショービズ的路線が復活することになるだろう (original post at )
2025-12-12
- 北風に吹かれどゆるく与里のふで (original post at )
- 埼玉近美「野島康三と斎藤与里」展に行ってきた。野島はガムやブロムオイルの頃はぴんと来ないがラチン・シルバーはシャープで《女の顔》シリーズは力があるもののさらに先《チューリップ》などは面白いが技巧に走る感じも。斎藤も初期は平凡だが1930年代《海女》あたりから《静物四季》連作は素朴ながら力があり50年代《花あそび》《鞆の浦》など輪郭線を残しながら平塗りに近い感じは熊谷守一を彷彿させたりもする。と思ったら「コレクション展」では守一と並べて“ゆるい絵・素朴な絵”というテーマを与えられていた。こちらは森田恒友《野路の秋》とか土田麦僊《甜瓜図》も和む。テーマとは別に古賀春江《コンポジション》などもいい。企画展の方で同時代美術として劉生、萬鉄などが並んでいたが、こちらの作品力強すぎ焦点が合わなくなって展示としては疑問 (original post at )
2025-12-11
- 夕暮れのうす黄にひたる冬の海 (original post at )
- 熊谷守一美術館「常設展III」に行ってきた。戦後、70歳を超える辺りからの、おおきな形を描いた下絵の線を残しながら単色で平塗りしていく「冬の海」「上げ潮」「白猫」などがのびやかな力強さでまっすぐ訴えてくる。2Fに展示されていた水墨画ともつながるんだろうな。最晩年の吉原治良かと思うような二重円の「夕暮れ」は自画像でもあるのだという。なかなかよい (original post at )
- 伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」を読んだ。創造科学、占星術、超心理学、代替医療といった「疑似」科学と科学との“線引き”について、後者の例として進化論、天文学、ニュートン力学、大陸移動説などを対比的に挙げながら、帰納と反証、パラダイム論、機械論的世界観などの考え方を取りあげ、最後に統計を“信じやすさ”(検定)と“程度”(ベイズ)の2つの面で見る。丁寧に説明を積み上げて目配りもきいており、たぶん良書。ただ数式無しでの説明がときどきそうなのか?と思わされるところがあったり回りくどく感じられたり、何と言うかやや付き合いにくい本であった (original post at )
- リゲティの「無伴奏チェロ・ソナタ」を、ペーテル・バールショニの演奏で。微分音というか自然倍音による音列を用いて民謡風だったり不思議な舞曲風だったりタランテラのように動き回ったりと多彩な表情の6曲。クルターグの「ロベルト・シューマンへのオマージュ」はClとPfを加えたトリオで、シューマンの2つの人格=オイゼビウスとフロレスタンを描くのだという、歪んで神秘的ともいえる6曲。あとシューマンとブラームスが収録されているがパス。Hungaroton HCD32892 #nml (original post at )
2025-12-10
- あお空を枯葉の声と駆け巡る (original post at )
- NYTimesからVistas Painted by Georgia O’Keeffe Protected by Conservation Plan ジョージア・オキーフが好んで描いたニュー・メキシコ州北部の牧場からの景観が開発で損なわれないよう、6000エーカーの土地を保全することになったと (original post at )
2025-12-09
- エルメス・フォーラム「メタル展」に行ってきた。遠藤麻衣子は《キャリブレーション》と題したビデオ・インスタレーションなどで巨大な蛇らしきものとか水銀とかのイメージを4面に。うーん、何が面白いのか。榎忠はよりリアルな《金属》《砂鉄》などが並ぶがちょっとベタ。エロディ・ルスールはアクリルなどの平面中心でこの中ではいかにも弱い。そのあとMMM「石岡瑛子 I デザイン GINZA」に寄ってみたが2023~2025の巡回展に準じるのかと思いきや「のごく一部を縮小再現」だそうで何も無いに等しかった (original post at )
- 傘持たぬひと濹東の雪の華 (original post at )
- 東近美「MOMATコレクション」に行ってきた。桂ゆき《ゴンベとカラス》は前にも見たっけ?木村荘八《『濹東綺譚』挿絵》が並んでいたのは嬉しかった。朝倉摂《黒人歌手ポール・ロブソン》は紙本彩色とは思えぬ。菅井汲《低い雲》あたり、オノデラユキ《Transvest》シリーズなど。新規収蔵品もけっこうあり、やはりコレクション展だけじっくり見るのはよい。「没後30年 榎倉康二」展は干渉とか浸透がキーワードなんだろうか。豊嶋康子の小さな作品も多数 (original post at )
2025-12-08
- 松本卓也「斜め論」を読んだ。フロイト的、権威的な垂直方向の関係から仲間相互の水平方向へという転換は分かりやすいが、それを単純化せず部分的な垂直性も加えた斜め方向を考えるために、ハイデガーを起点にビンスワンガー、ガタリ、ドゥルーズを援用して丁寧に辿っていく。最初ややとっつきにくいが中井久夫、上野千鶴子、篠田さよ子の実践を社会運動の歴史と合わせて取り上げるところは読みやすい。「一度限り決定的に」ではなく「そのたびごとに」というアプローチは腑に落ちた。ハイデガーも否定的なのは貧しい水平方向=平準化であって、責任を引き受けて垂直の突出もあり得る豊かな水平性はありではないかと批判的に読み直される。オープンダイアローグ、べてるの家など最近おなじみの話もしばしば (original post at )
- 枯園に舞落ちる音の緩急 (original post at )
2025-12-07
- 宝もの両手いっぱい冬日和 (original post at )
- ジル・ドゥルーズ/高桑和巳 訳「尽くされた」を読んだ。疲れた者は実現を尽くしただけで可能性は残るが、“尽くされた”者は可能化もできない。というような話がベケットの作品、特に1975~82年の4つのテレビ作品を論じながら語られる短い論考。ジネーヴラ・ボンピアーニによるイタリア語版の序文ではそれは「終わりについてではなくそのぎりぎり直前の“次末”性」だとされ、それを“最末”に移行させるプロセスはドゥルーズによれば“イメージを作る”のでありそこで言語IIIが登場する。ジョルジョ・アガンベンによる同あとがき「姿勢」ではレヴィナスやハイデガーとの関係/対比が言及されるがドゥルーズ自身はこれはスピノザ主義なのだという。実際にベケットの作品を見るとまた違って理解できるのかも知れない (original post at )
2025-12-06
- 印刷博物館「当館所蔵コレクションでみる『書楼弔堂』」に行ってきた。いや、ホールの前に少しだけのつもりで立ち寄ったら老人の団体が列をなしていてとてもゆっくり見る気にならずすぐ常設の方に移動。ロッカーも詰まっていたのでいろいろ落ち着かないまま、それでも浮世絵の彫りとか多色刷りの様子とか面白かった。ここはまた出直そう (original post at )
- かたい音まっすぐ冬の天体暦 (original post at )
- 瀬川裕美子ピアノリサイタルvol.11「ひとつの詩のはじまり」をトッパンホールで。前半はブーレーズの未完のPfソナタ第3番からフォルマン1,3,2、そして福士則夫「5つの断片」の(58年目に)世界初演という組み合わせ。例によって超詳しい解説がプログラムにあるがソナタは分かろうという努力を要され福士は面白い響きもあるが暴力的な圧力も。後半ブーレーズ第1ソナタはよりまとまり感があり、「天体暦の1ページ」を挟んでのバッハ~モーツァルトという連続構成はよく分からず、最後「アンシーズ」はまぁたしかに。全体を通して沁みるの対極という感じ、全身で力を入れて弾くので低音fffが凶暴。通路直前の席では圧力強すぎるね。良い席選んだつもりが結局前の男性が邪魔なので一つ隣にずれてすっきり(☞参照) (original post at )
2025-12-05
- 石段にのこる紅葉すきとおる陽 (original post at )
- 加藤陽子/モリナガヨウ(絵) 「となりの史学」を読んだ。国際共同研究に基づく2010年代の論文集を日中×2、日露、日英、日独の5章で計28回にわたって紹介し、事象を細かく書き込んだイラストを毎回1ページ添えるという企画。各論文集で多数の文献が取り上げられる上に背景や関連文献にも言及する膨大な情報を押し込んでいるので、うっかりしていると位置を見失うしそれぞれの記述は導入のみではあるが、日本はなぜあのような道を歩んできたのかを理解するための扉があちこちに開かれている。紹介された論文のせめて一部だけでも読んでみたいとは思うが。いずれ (original post at )
2025-12-04
- バックアップに使っているウェブメールがややこしいことを言ってきたのでこの機会に乱立している多数のアカウントを再確認して一覧化。それぞれ経緯はあるとはいえ、もう少し整理が必要だな (original post at )
- 晴れて外出解禁し散歩。天気もよく落葉がきれいに積もって気持ち良い。チケット購入していた新国オペラは断念したが、久々に湯船にも浸かりこれから6日ぶりの🍻(☞参照) (original post at )
- ご無沙汰。わらう黄朽葉の輝やき (original post at )
2025-12-03
- 冬の月をめがけひも解くコードかな (original post at )
- ようやく平熱となって日常を回復。まだ外出は控え隔離生活だが、久々に夜までコードを書く(☞参照) (original post at )
2025-12-02
- トンネルを抜け山茶花を想いけり (original post at )
- インフル3日目。起床時は36.9℃だが午前中は37.7℃ほどまで上昇しやや気分悪し。たぶん睡眠時のストレスが高くてよく眠れていない(睡眠スコアが出ない)。午後はやや落ち着いて夜も37.3℃程度(☞参照) (original post at )
2025-12-01
- 感冒を窓辺の木々にいたわられ (original post at )
- インフル2日目(発症日は0日だそうだ)。午前中は37度台で推移したが夕方から上昇して今38.3℃。隔離生活中(☞参照) (original post at )
2025-11-30
- マスク手洗うがい詮無く流感 (original post at )
- W3C Web & AI Interest Group w3.org/2025/10/webai-ig-charter.html AI関連技術とウェブ技術の協調のためのIG設立。倫理やセキュリティも視野に入れる。IGなので勧告類は出さないがIGレポートを発行する予定と (original post at )
- ジャパンサーチの東京学芸大学教育コンテンツアーカイブ5592件をRDF化し、SPARQLエンドポイントで公開しました。jpsearch.go.jp/rdf/sparql/easy/?query=SE...(☞参照) (original post at )
- 休日診療に行き、インフルA+大当たり。タミフルを処方してもらい少し落ち着いたような気はするが、熱は依然として39.0℃(☞参照) (original post at )
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