レコード雑誌の新譜評のような欄では、使える字数が限られているから、決まり文句みたいな言い回しを使いたくなるのはある程度分からないでもない。しかし、今どき

これまでのピリオド・オーケストラの演奏は、その楽器や奏法の特徴をアピールしようという意図が先行して、何か不自然さや堅苦しさを感じさせることが多かった。しかしインマゼールの演奏では...

『Gramophone Japan』2000.4月号、p.89

などという寝ぼけたことを書くのは止めてもらいたい。コレギウム・アウレウムの頃ならいざ知らず、この10年来、楽器の珍しさを売り物にしてオリジナル(ピリオド)楽器を使っている演奏家など、いたら天然記念物だ。むしろこれらの特徴を出さないようにした結果、ふやけた演奏になっているものすらある(こういうのが日本のレコード評では受けがよい)。

歴史的考証に基づいたアプローチで音楽をよみがえらせようという演奏家たちは、これらの成果を「現代の文脈でどう生かすか」ということに関心がある。考古学の博物館をやっているわけではない。だからこそ、モダンオケもこれらの成果を取り入れようと、ノリントンやガーディナー、アーノンクールらがBPOVPOに迎えられているのだ。

その中で、このCD評が取り上げたインマゼールは、「作曲家の音符の書き方は、その時代の楽器の機能、そして表現力と不可分の関係にある。だから、まるで異なる楽器で演奏するのは、テキストを書き換えてしまう行為にも等しいのですよ」(同誌2000.3月号のインタビュー)と言い放つほどの楽器重視派だ。むしろ彼の方こそ「楽器や奏法の特徴」が本質だと言っているわけだ。

どっちみち主観的な印象記か借り物のステレオタイプしか書けないんだろうけど、いい加減な決まり文句を安易に使って、事実に基づかないでたらめを書くのはやめて欲しいぞ

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