このところホグウッドのハイドン交響曲全集を改めて聴き、付属のリーフレットを読み直している。ウェブスターの解説は、中野博嗣の本を読んだ後で参照するとなかなか面白い。その中で、第4巻に付属している「鍵盤楽器コンティヌオ(通奏低音)の欠如について」という文書が興味深かったので、要点をメモしておく。ホグウッドの全集では、ロンドン・セット以外はチェンバロを用いていないことについての解説だ。

  • 「ロンドン・セット」以前の資料に、鍵盤楽器が加わっていたことを示すものはない。逆に、鍵盤の使用が判明している協奏曲や劇音楽では、そのことを示す音型や指示が豊富に見られる。
  • エステルハージ家がハイドンの在職中に鍵盤奏者を雇用したという証拠はない。またハイドンが交響曲の演奏中に鍵盤を弾いたという証拠もない。
  • 「ロンドン・セット」の諸資料で、ハイドンの監督下で準備されたものには鍵盤楽器を用いる指示も声部もない(翻訳が一部意味不明)。
  • ハイドンはエステルハージ家楽団をバイオリンを弾きながらリードしていたと考えられる
  • 交響曲7番、45番という、メンバー全員に何らかの役割を与えている曲において、鍵盤の出番がない
  • 1950年代にいわれた、「ハイドンの初期の交響曲は2声、3声でオーケストレーションが不十分なので、コンティヌオで満たされなければならない」という美学理論は、まったく無意味で、ハイドンの音楽はこれで十分
  • 特に小さなアンサンブルに関しては、いつもチェンバロがなっているとかえって耳障り

これだけの理由を挙げて、ハイドンは交響曲の演奏に鍵盤による通奏低音を用いてこなかったと結論づけている。実際、ホグウッドの演奏を聴いていると、チェンバロのない透明さは素敵なもので、そのほうが自然という感じ。

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