ハイドンのシンフォニー全104+3曲(33枚組)セットが1万円を切るというので話題の、アダム・フィッシャー指揮=オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団による全集を買い込んで、1週間余りかかって聴き終えたところ。さすがハイドン、これだけの数を作曲してもそれぞれに工夫が凝らされていて、ほとんど飽きることなく(最後はやや辛くなってきたが)楽しめた。

このオーケストラは、「中欧の音楽演奏と解釈の“口承”伝統」の継承と発展を目指し、ウィーンとブタペストの楽団の演奏者たちをフィッシャーが集めて1987年に結成したもの。曲に合わせて30~45人のメンバーで編成され、作曲者ゆかりのエステルハーザ宮ハイドンザールで、14年かけて全交響曲を録音してきたという。1989-12のグラモフォン誌には、With Professor H. C. Robbins Landon giving weight to the projectと、H.C.ロビンズ・ランドンがプロジェクトに協力していたような記述も見える。

とりあえず一通り聴いたというレベルなので、あまり詳しくは論じられないけれども、演奏の水準はかなり高い。長い年月をかけての録音であるため、初期の演奏と最後のものではどうしても違いが出てくるものの、同じコンセプトで107曲を通して聴けるというのは、やはり貴重である(このシリーズは、概ね両端、つまり最初と最後の交響曲から始めて、だんだん中期に向かって録音していった)。

フィッシャーは、ライナーノートでわざわざ「なぜモダン楽器でハイドンを演奏するのか」という一節を設けていろいろ述べている。要するに、楽器が何かということより、奏者の技量と、ハイドンの“伝統”を身につけているかどうかが重要だという考えだそうだ。その伝統とは、敢えて例を挙げれば、十六分音符のダンスのような弾き方とか、ちょっとしたアウフタクトの延びだとか、シンコペーション(特に内声の)のアクセントの付け方とか、三十二分音符のグループの最高音に向けての自然なクレシェンドだとか、そういったものだと記されている。

まあそれは結構なのだが、良く知っている曲でないと、「伝統」による違いはあまりはっきり分からないかも知れない。それよりも、初期の録音ではモダンオケ流のビブラートが短い音符にまでまとわりついて、耳障りなのは残念(Nimbusの残響たっぷりの録音も、各地で批判されているとおりやや違和感がある)。最後の方で録音された中期の曲では、ビブラートも控えめで、溌剌としつつ素朴な味わいが出ているので、やはりこれは時間をかけてスタイルを練り上げていったというところなのだろう。全体としては、ピリオド楽器の演奏ほどシャープなタイプではなく、少しゆったりと、のびやかにハイドンを楽しんでいるという印象だ。

それにしても、この価格でこの水準の演奏とは、驚異的なコストパフォーマンスと言っていい。バルシャイのショスタコ交響曲全集とか、ブリュッヘンやインマゼールらによるメンデルスゾーン交響曲全集(7枚組で2000円しない)などの廉価盤シリーズを連発しているブリリアント・クラシック、恐るべし。

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