マーラーの5番の前プロとしてシューベルトのロ短調交響曲を演奏することになる。練習で川本氏が「この楽譜のデクレシェンドは基本的にアクセントと考えてください」と注意するのを聞いて、そう言えばそうだったと思い、久しぶりに「未完成」についていろいろ調べてみた。楽譜の版による違いについての詳細は、金子建志による『こだわり派のための名曲徹底分析 交響曲の名曲1』やノートン版のスタディスコアの翻訳版に詳しいから、ここでは繰り返さない。しかし、改めてじっくり「未完成」を聴いてみて、実に素晴らしい音楽だなぁと、再認識した次第。

どうもこの曲は、いわゆる音教みたいなところで取り上げられすぎて、優等生的でセンチメンタルな音楽という先入観があまりに強かった。自分たちも大学時代に演奏旅行などのレパートリーとして安易な演奏を繰り返し、聴くのも弾くのも飽き飽きしていたというのが正直なところだ。けれども、たとえばもう一度ノリントンの演奏を聴いてみると、どうだ。冒頭のバイオリンの刻みからして、鳥肌が立ちそうな緊迫感と推進力でぐいぐい引き込まれていく。センチメンタルなんてとんでもない。骨太で、進取の気性に満ち溢れた、堂々たるシンフォニーではないか。

いくつかのオリジナル楽器によるCDも買ってきて聴いてみる。ブルーノ・ヴァイルの演奏はノリントンもびっくりの、とてつもなく強烈な演奏だ。最近発売されたインマゼールによるシューベルトの全集の1枚は、予想外に穏やかではあるが、それでも「未完成」は新しい。スコアを片手に聴いてみると、ますます面白くなってくる。

残念ながら詳しいアナリーゼをしている余裕はないが、いや、やはりこれだから「名曲」は面白いのだ。古いCDを引っ張り出して聴いてみたら、あまりのセンチメンタルで陳腐な演奏に涙が出てきた。やはり、つい最近までは、「未完成」はこういう名曲レパートリーとして捉えられていたんだろう。

()