ベートーベンの交響曲第5番を《運命》の通称で呼ぶのは日本だけ、なのではなくて、ドイツ語では Schicksalssinfonie (運命交響曲)が通じるし、仏語なら Symphonie du destin、英語圏でも一般向けの解説では Symphony No.5 c-minor (Fate) という表記を見かけることがある。もっとも、これらは日本ほど頻繁に用いられるわけではなく、楽譜やCDの曲目表記で《運命》という表現にお目にかかることはまずない。と思っていたら、こんなCDがあった。

ジャケットにBEETHOVENS »FÜNFTE« SCHICKSALS-SINFONIEと書かれている例

1997年にヨーロッパで発売された、ジョージ・セル指揮クリーブランド管のCD(EAN/UPC : 5099706019121)のジャケットには、メインタイトル BEETHOVENS »FÜNFTE« の下に DIE SCHICKSALS-SINFONIE の文字がある。マイナーオケのファミリーコンサートのプログラムや、地方新聞の地元アマオケ紹介記事でこの単語を目にすることはあるが、こういうメジャーな舞台で《運命》と書かれるのは、ずいぶん珍しい。

この呼び名について、『クラシック音楽作品名事典』(改訂版:1996)では「この通称は、かつては日本だけのものと思われていたが、現在ではドイツでも用いる」と説明している。ドイツでは最近使い始められたとも読める記述で、だとすると、これから Schicksalssinfonie に出くわす機会が増えていくのかな?

ちなみにこのハ短調交響曲は、日本ではかなり以前から「運命」で親しまれているはずだが、海外からの輸入ではないとすると、いつ頃どうやって使われはじめたのだろう。いくつかのドキュメントから分かることを拾い上げてみる。

  • ニキシュがベートーベンの交響曲第5番を録音したのが大正2年(1913年)、この曲が日本初演されたのは大正7年。この頃はまだ「運命」という呼び方ではないと思われる。昭和に入っても、昭和3年のポリドールの総目録に掲載されているフルトベングラーの最初の録音は「交響樂第五」となっていた。また『宮沢賢治の音楽』(佐藤泰平著、ISBN:4-480-81369-1)などによると、宮沢賢治はSPレコードを収集していて昭和2年にはレコード交換会を企画しているが、その「交換用紙」には「第五交響楽」と記されていて、「運命」という表記は使われていないようだ。

  • 福本康之氏の「日本におけるベートーヴェン受容 III」という論文によれば、『音楽倶楽部』という雑誌の第4巻第10号に本野虫太郎なる筆者の記事「名曲の解説ベートーヴエンの第五交響曲『運命』ハ短調、(作品六十七)」が掲載されていた(年度の記載はないものの、前後の内容から判断すると、昭和4年=1929年頃だと思われる)。一連の福本論文では明治、大正期にまでさかのぼって、日本の音楽雑誌に掲載されたベートーベンに関する記事が洗い出されているのだが、「運命」という言葉がタイトルに現れるのはこれが最初だ。

    福本氏は昭和2年のベートーベン没後100年を機に「ベートーベン=楽聖」というイメージが確立されたことを示している。「運命と闘う作曲家」という神話の浸透と、この通称が使われはじめたことは関連があるかも知れない。

  • 『証言/日本洋楽レコード史』(歌崎和彦編著、ISBN:4-276-21253-7)に、昭和初期のクラシックレコード専門誌『ディスク』主幹、青木氏による次のような「証言」が掲載されている。

    《運命》というようになったのは、洋楽レコードが国産化されてからでしょうが、それでも《第五》とか《五番》という人の方が多かったかもしれません。ベートーヴェンが付けた名前じゃないのでこだわったんでしょう。もっともハイドンの《時計》は《クロック》といってました。

    洋楽レコードの国産化は昭和2~3年頃なので、ちょうどベートベン没後100年とも一致する。また、昭和6年6月号の『レコード音樂』に、シャルクの演奏を評して片山敏氏が書いた次ような月評も、同書に引用されている。

    大體従来の第五は《運命》といふ標題に捉はれたかの観があり、いくらかセンチメンタルに、又多分に標題樂風に芝居氣澤山に取扱はれた演奏が多かったのに対して、(…中略…)ベートーヴェンが期待したところの《第五》は恐らくかういふものではなかつたらうか…

    「運命」という呼び方はある程度知られていたものの、それは「作曲者が意図したものではない」通称で、「曲を標題音楽として捉えている」ように思わせるところがあって、あまり積極的には用いられていなかったように見える。

  • 昭和8年頃になると、一般雑誌にもレコード関連の情報記事が掲載されるようになる。昭和10年4月号の『新潮』レコード欄には、次のような記事が載っていた。

    …とに角、これだけ一纏にしてバッハを聴いた後でベートーヴェンの「第五交響曲」を聴かされると、そこに初めて人間を感じさせられて僕らはほつと息をつかされる。(…中略…)曲は、「第五交響曲」、五枚九面に吹込まれてゐるもので、ロンドン・フィルハーモニック管絃樂團をクーセヴィツキーが指揮しての名演奏である。これは誠に明朗な、近代的な「運命」である。…

    さらに翌月号の同じ欄では、このレコードを振り返って「運命交響曲」と呼んでいる。

  • レコードの宣伝と普及が「運命」の浸透に大きな役割を果たしたことは想像に難くない。昭和12年(1937年)のメンゲルベルク盤、昭和14年のトスカニーニ盤の広告は、いずれも「運命」の通称を用いている。

    昭和12年のメンゲルベルク盤、昭和14年のトスカニーニ盤の広告はいずれも「運命」と謳っている

    ただし、このトスカニーニ盤を最近話題にしたMainichi Interactiveの2003年1月29日付の記事は、《今回聴いたレコードには「運命」という文字はなかった。今では、その曲名のように使われているが、当時は定番になっていなかったのである》と結ばれている。広告には「運命」を用いても、レコード自身には通称を入れなかったということだろうか。

    一方、昭和13年のフルトベングラー盤の発売告知は、「ベートーヴェン作第五交響曲」と通称なしだ(「蓄音機とレコード 資料の小部屋」より)。もっともこのレコードに関しては、昭和13年の6月号の『新潮』レコード欄が《フルトヴェングラーが、コロムビアでは、ベートーヴェンの「運命交響曲」を吹込んでいる》と書いていたりで、広告だけが全てじゃないことは言うまでもない。いずれにしても、この通称の用い方がまだ過渡期だったことを伺わせる。

  • もうひとつ、レコード初期の貴重なドキュメントでもある、あらゑびす氏の『名曲決定盤』(昭和14年初版、中公文庫版ISBN:4-12-200871-9)には、第五交響曲の曲名が何十回と登場するが、その中で「運命」となっているのはただ一箇所だけ。フルトベングラーの昭和13年盤に言及したところだ。

    …いわゆる『運命交響曲』という表題に最もふさわしいもので、(…中略…)これが即ち良い意味でのフルトヴェングラーの特色である。

    「いわゆる」という留保付きで、標題音楽的な意味を示すためにあえて用いているというわけだ。当時の「運命」という呼び名をめぐる雰囲気がしのばれるような気がする。

昭和初期の段階で、「運命」がベートーベンのハ短調交響曲の呼称として通用したことは間違いなさそうだが、常に冠されたという訳ではなく、筆者の考えや使われる場合によってばらつきがあった。もっとも「作曲者自身によるのではない俗称なんぞ使わない」とこだわる筆者は今でもいるわけで、その割合がだんだん低下して今日に至ったということかな。

〔補足〕著名なドイツの音楽事典 MGG のベートーベン作品一覧の項目には、5.Symphonie c-Moll [>Schicksal<] という表記がある。また、ドイツ語版WikipediaのBeethovenの項目では、Seine 5. Sinfonie wird häufig 'Schicksalssinfonie' genannt (彼の第五交響曲はしばしば「運命交響曲」と呼ばれる)となっている。

新響2004年4月演奏会の高関健のインタビューには、次のような一節があった。

私がベルリンに留学しているころ、「運命」の廉価版のLPを買った時に、『Schicksals-Sinfonie』(運命交響曲)と書いてあるジャケットを見たことがありますよ。ドイツでもそういう呼び方をまったくしないわけではないようですね。

Beethoven schicksal symphonyと、ドイツ語の「運命」と英語の「交響曲」を混ぜて検索すると、日本のページはご愛敬としても、いくつか韓国のサイトがヒットする。韓国でも、この交響曲を通称で呼ぶことがあるようだ。

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