チャイコフスキー《悲愴》の演奏ノート


このCDについて

チャイコフスキーは6番目の、最後の交響曲を書いたとき、それを悲愴(Pathétique) ― 「苦悩の交響曲(Suffering Symphony)」と呼びました。19世紀ロマン派の中でも最も才能豊かな作曲家のひとりは、「人生」についてであると語った作品において、その心の内を明かします。その音楽から、そして彼自身が示した手がかりから示されるのは、それが彼の希望、恐れ、勝利、そして避けることのできない最終的な死についてであるということです。

指揮者として私が最初に考えなければならないのは次のようなことです:我々はこの強烈にドラマティックな音楽をどのように演奏するべきなのだろう? この曲は一般にハリウッド映画のごとく演奏されています:しばしば「金管が咆吼」し、ヒステリックなビブラートをたっぷりかけて。しかしこうしたものは、そもそもチャイコフスキーのスタイルやメッセージに即しているのでしょうか。この交響曲には、不安と苦悩がある ― その通り。けれども私は、ここには気高さと諦念もあるように思います。多くの偉大な作曲家と同様、チャイコフスキーは感傷や大言壮語を嫌いました。彼自身の指揮のスタイルは、シンプルでもったいぶらないものだったようです。この曲をとりあげるにあたって、この偉大な曲をどう演奏するかの新たな手がかりを探してみましょう。

オーケストラと演奏スタイル

まず第一に、チャイコフスキーが求めていたオーケストラがあります。それはごく古典的なオーケストラで、ベートーベンやブラームスにおけるものと全く同じです。ここには、彼以前にベルリオーズが、また彼の後でマーラーが用いたような特殊な楽器はありません ― ハープすらないのです! それから、もちろん第1バイオリンは左、第2バイオリンは右に座ります。実際、彼の音楽において、両バイオリンパートはしばしば舞台をまたいで一種の対話を行うのです。さらに、左側に配置されたホルンと右側のトランペット、トロンボーンの間でも対話があり得るでしょう。木管が間に陣取り、コントラバスがその後ろに一列に並びます。これは、ロシアを含む19世紀のオーケストラがほぼ全て採用していた配置で、したがって大作曲家たちはみなこの並びを念頭において曲を書いていました。

作曲家について、また作曲家の考えについて、知りうることあればそれらは全て重要です。例えば、チャイコフスキーが各楽章に与えたメトロノーム指示を見逃すわけには行きません。「伝統的」演奏は、いろいろな箇所で情緒的な効果のために音を重く引っ張ったりするのですが、まさにその部分でチャイコフスキーは少し速く演奏するように指示していたりするのです! ロマン派の音楽は情熱に満ちていますが、それは必ずしも誇張されなくたっていいのです! 同様に大切なのが、作曲家が要求したり期待していたアーティキュレーションと運弓、そしてもちろん何よりも、サウンドです。チャイコフスキーの時代には、バッハやモーツァルト、あるいはワーグナーの時と同じく、オーケストラは「ピュア・トーン」、つまり「常にかけっぱなし」ビブラートのない音で演奏していました。こういったものは、1930年以降、徐々にあらゆるモダンオーケストラに浸透していったのですが。ピュア・トーンは、この交響曲が私たちに語りかけるさまに、驚くべき違いをもたらしてくれます。

曲の構成

第1楽章

《悲愴》は、とても静かに始まり、また終わることで知られています。多くのロマン派交響曲と同じく、この曲もあるストーリーを語っているのですが、チャイコフスキーはそれが「人生について」であると述べたのみで、それ以外はプログラムを明らかにしませんでした。最初の部分は確かに暗く陰気で、ここで早くも悲劇的な結末を予測できるかも知れません。この導入に続く速い部分は、最初と同じ音型から構築され、同じくやすらぎのない不安の気持ちを保っています。激しい部分がいったん終わると、全く異なるメロディが姿を現します。たとえカルメンの有名な「花の歌」からインスピレーションを得たものではなかったとしても、だれもがこれは愛を表現しているのだということが分かるでしょう。チャイコフスキーはこの部分にこう記しています:「優しく、たっぷり歌って、広がりをもって」。こうした箇所では、20世紀後半のすすり泣くような奏法をとるよりも、我々の「ピュア・トーン」はずっとずっと優しい愛に相応しいものだと考えています。

チャイコフスキーはグランド・バレエの大家です。この楽章の構成を、バレエの場面のように考えて聴いてみるのも意味があることではないかと思います。ここまで、ゆっくりした序奏と速い主部、そしてまたゆっくりした愛の音楽がありました。次にやってくるのは、雷のような崩壊で、私たちは白熱した論争の場面 ― 展開部に進んでいきます。これは怖ろしい戦いのようでもあり、実際、音楽は不安な示唆を含んでいます。まず、チャイコフスキーにおいて常に悲劇的な運命を示す見まがうことのない下降音階。ロシアの教会の下降する鐘の音はいつも葬儀に結びついています。そしてすぐ後に耳にするのは、馴染みのないもの、正教会の死者のためのミサからの引用なのです。この音楽につけられているテキストは次のようなものです:「おおキリストよ、汝の僕の魂に平和を与えたまえ。」主要な主題が再現された後、静かで高貴な、木管と金管による哀歌が、弦楽器の柔らかく下降する音階に乗って歌われます。

第2楽章

ドラマと強い感情に満ちた第1楽章のあと、《悲愴》の2つの中間楽章は著しくおおらかです。第2楽章は、一種の悲しいワルツで、ビートを失って皆が異邦人になってしまいます! 「1 2 3, 4 5 6」ではなく、ワルツは「1 2 3, 4 5; 1 2 3, 4 5」と進むのです。この愛らしいワルツを、チャイコフスキーの社会における立場の象徴と見立てることも難しくないでしょう。多くの大作曲家と同様、彼はダンスを愛好し、最高のバレエ、すなわち眠りの森の美女、くるみ割り人形、そして白鳥の湖を作曲しました。しかし、ホモセクシュアルとしては、19世紀の大舞踏会に出かけるのは、あまり居心地の良いことではなかったに違いありません。そこではもちろん、ダンスは男性と女性で踊られるのです。心から楽しんで加われないのは悲しいことだったでしょう。この楽章の中間部では、悲劇的運命の下降音階がふたたび登場します。

第3楽章

チャイコフスキーの《悲愴》の第3楽章は、一種のスケルツォで、勝利の行進曲 ― そして恐らく、交響曲の中で唯一の楽観的な瞬間です。この音楽は恐らく、素晴らしく成功した著名人としてのチャイコフスキーを表しています。チャイコフスキーの生涯は、厄介ごとと悲惨なことばかりというわけでは決してありませんでした:彼には友人があり、家族と甥と姪がおり、もちろん彼の音楽がありました。ここにおいても、運命の下降音階は遠くないところにいることに気付くでしょう。しかしこの楽章は、長い地ならしと壮麗な終結によって、あらゆるものを攻略していくのです。

もちろん、第3楽章のパワーには別の理由があります。最終楽章がゆっくりした悲劇的な結末となるので、なんらかの締めをするために、第3楽章はフィナーレの「代役」を演じなければならないのです。実際、コンサートで聴衆はこの楽章が終わったら拍手をせずにいられないではないですか! しかし、もちろん1893年当時の聴衆は、どんな交響曲でも全ての楽章で拍手をしていたわけですが ― しばしば楽章の途中で拍手をしたり、交響曲を最後まで演奏しないうちにアンコールを求めたりすらしたのです。

第4楽章

チャイコフスキーの《悲愴》の終楽章は、最も独自で、最も異例で、そして最も悩ましいものです。マーラーの第9番が登場するまで、ほかにはこのように悲劇的な混乱状態で終わる交響曲はでてきません。第3楽章の勝利の緊迫感の後には、あなたは平和な緩やかな音楽を期待するかも知れません。しかしこの楽章は、まるで何か怖ろしいことが起きているかのような、悲鳴のごとく始まります。けれども絶叫の後には、受け入れと諦念が訪れます。死が避けられないのならば、それを静かな威厳をもって受け入れるのがひとつのふるまい方だ、と彼は言っているようです。

ここは、古い歴史的な演奏スタイルがとても強く訴えかける力を持つ部分だと思います。ヘビーな、持続的なビブラートでむせび泣くよりも、音楽は本当に無垢で高貴に響きます;音楽は私たちに、ごく直接的にそして明晰に語りかけるのです。この音楽は、バロック期のヘンデルのような作曲家の清澄さを備えています。事実、ヘンデルのオペラ「クセルクセス(セルセ)」には、チャイコフスキーのメロディにとてもよく似たアリアがあるのです。チャイコフスキーがヘンデルの曲を知っていたとは思われませんが、彼がここに込めた感情は、第1、第2主題いずれもがロシアの葬送音楽の下降音階を持っているにもかかわらず、穏やか、受け入れというものです。

この楽章では、「悲鳴」の主題と「受け入れ」の主題は次第に力を増す激情に支配されて行き、最後には逃げ場がなくなってしまいます。「悲鳴」の音楽は最後に死にものぐるいで希望を求めますが、死を逃れることはできません。その瞬間は、銅鑼の一撃によって刻印されます。すると、ふたつの不思議ともいうべきことが起こります。まず、トロンボーンが、一種の初期バロックの葬送のメロディ ― 暗く陰気な教会音楽を奏でます。そして最後に、コントラバスが繰り返す哀歌に乗せて、「受け入れ」の主題が悲しく、短調で聞こえてきます。音楽は、最初の楽章が始まったときのように、静かに消えていきます。計り知れず劇的な終楽章が、気高く、悲劇的に幕を閉じます。

生涯を通じて、チャイコフスキーは死を病的なほど恐れていました。この作品で彼は死に面と向き合い、静かに受け入れることでその恐怖を克服したのです。マーラーはチャイコフスキーに会ったことがあり、この作品を好んで指揮しましたが、その最後の完成交響曲である第9番に、このゆっくりした結末をこだまさせました。ハッピーエンドを期待していた《悲愴》初演時の聴衆は、当惑しました。しかし、すぐに人々は慣れ、この曲がチャイコフスキーの最高の交響曲であること、そして19世紀の最も優れた交響曲の一つであることを理解したのです。

ロジャー・ノリントン, 2004

*小見出しは訳者が便宜的に加えたものです。

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