ブルックナー交響曲の版の問題について

リンツ・ブルックナー没後100年記念音楽祭のトーマス・ダニエル・シュレー音楽監督にスイス・ロマンド放送局の音楽評論家アントワーヌ・リヴィオ氏がインタビューした内容が『音楽芸術』1996年12月号に掲載されました。その中で楽譜の版の問題に関連してノリントンのブルックナーに触れている部分を引用します。(記事ではロジェ・ローリングトンとなっていますが、これは明らかにノリントンのことなので、修正の上引用しています。)

シュレー ...ブルックナーの作品の解釈に関して懐疑は重要です。というのも、今日大オーケストラや大指揮者はブルックナーの角の取れた、日当たりの良すぎる演奏に安住しているからです。...音楽祭で使用された版は大半が私の希望した版ではありません。残念なことに、指揮者やオーケストラの知名度が高くなればなるほど、一般に普及してはいないが、より優れた版を提案することが困難なのが現状なのです。...大指揮者の中では、ロジャー・ノリントンとミヒャエル・ギーレンが真剣に版の異同の問題に取り組んでいます。

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リヴィオ なぜロジャー・ノリントンは記念音楽祭で指揮しなかったのですか。

シュレー 彼はブルックナーの交響曲を準備する際、時間をたっぷりかけて極めてゆっくり仕事をするので今年は来られなかったのです。昨年彼は第三番の初版演奏を行い、リンツに来た直後に録音しました。私はこの新解釈に魅了されました。例えば、ブルックナーがコラールに民俗舞踊を重ねた箇所で、ノリントンは民俗舞踊のテンポを採用しています。その結果コラールは歌唱のテンポになり、従来の演奏とは全く異なったものになりました。ブルックナーの音楽を聴き慣れた聴衆だったので反応が心配でしたが、人々はこの新解釈を熱狂的に迎えました。

(『音楽芸術』1996年12月号:訳・構成=三光 洋)

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