ベルディ(a.k.a.ヴェルディ):レクイエム・ミサの歌詞と音楽

ベルディ(ジュゼッペ・ヴェルディ, Giuseppe Verdi)「レクイエム」を演奏した機会に、その曲の構成と歌詞について調べたことをまとめたものです。

曲の概要

曲名
レクイエム・ミサ、マンゾーニの命日を記念するための
Messa da Requiem per l'anniversario della morte di Manzoni
作曲時期
1873/74
(1868/69:ロッシーニ追悼レクイエムのLibera me)
(1875:Liber scriptusの改訂)
初演
1874-05-22@ミラノ、サン・マルコ教会
楽章構成
  1. 第1曲: Requiem e Kyrie(レクイエムとキリエ)
  2. 第2曲: Dies irae(怒りの日)
  3. 第3曲: Offertorio(奉納唱)
  4. 第4曲: Sanctus(聖なるかな)
  5. 第5曲: Agnus Dei(神の小羊)
  6. 第6曲: Lux aeterna(永遠の光)
  7. 第7曲: Libera me(私を解き放ってください)
編成
Picc:(1); Fl:3; Ob:2; Cl:2; Fg:4; Hr:4; Tp:4(+4); Tb:3; Ophicleide:1; Timp; BD; Str; SMsTB; Chor
ノート

1868年6月、ベルディは「偉大な市民であり、また聖なる人でもある」と心から尊敬するマンゾーニに初めて会見し、「私は彼の足下にひざまずきました」と書くほど深く感動しました。同年11月には、ロッシーニが亡くなります。ベルディは「彼はイタリアの栄光だったのです!ご存命のいま一人の人物〔マンゾーニ〕が亡くなったら、いったいあとに何が残るでしょう」と述べ、音楽家たちが協力して一つのレクイエムを作曲しようと提案します。

ベルディはこの“ロッシーニ・レクイエム”のためにリベラ・メを作曲し、他の曲も大半ができあがりますが、結局この企画は日の目を見ないままに終わりました。しかしこの頃からベルディは死について深く考えずにはいられなくなっていくようです[タロッツィ, p.96ほか]。1873年4月、おそらくレクイエム全体の作曲を考えた本人の要請によって、リベラ・メの自筆譜が作曲者に返還されます。

同年5月にマンゾーニが他界したとき、ベルディはあえて葬列には参加せず、数日後に一人で墓参りをして、レクイエムをその追悼に作曲することを出版社に手紙で告げます。新しいレクイエムは速いペースで書き上げられ、翌年の一周忌に初演されました。

各曲の詳細

レクイエムを構成する7曲それぞれについて、歌詞の対訳、訳注、音楽上の構成、概要説明と譜例の順で紹介します。なお、フォーレのレクイエムで調べた内容は個別の訳注にリンクする形としていますので、より詳しい語の解釈や背景について必要に応じ参照してください。

第1曲:Requiem e Kyrie(レクイエムとキリエ)

Requiem e Kyrieレクイエムとキリエ
Requiem aeternam dona eis, Domine:永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ:
et lux perpetua luceat eis.そして絶えることのない光が、輝きますように、彼らに。
Te decet hymnus, Deus, in Sion,あなたには賛歌が相応しい、神よ、シオンにおいては、
et tibi reddetur votum in Jerusalem:そしてあなたに復唱されるでしょう、祈りが、エルサレムにおいては:
exaudi orationem meam,聞き届けてください、私の語りかけを、
ad te omnis caro veniet.あなたのもとへ、全ての肉あるものが至るでしょう。
Requiem aeternam dona eis, Domine:永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ:
et lux perpetua luceat eis.そして絶えることのない光が、輝きますように、彼らに。
Kyrie eleison.主よ、慈悲を与えてください。
Christe eleison.キリストよ、慈悲を与えてください。
Kyrie eleison.主よ、慈悲を与えてください。
Christe eleison.キリストよ、慈悲を与えてください。
  • requiem : requiēs(f, 休息、平安)の対格=安息を。接頭辞reを除いたquiēsも休息、眠り、平和で、re-quiēsは「労働などの後に再びやってくる平安」ということになる。語幹はrequiēt-形なので単数対格は本来requiētemだが、requiemという形も使われる。cf.英quiet。
    aeternam : aeternus(永遠の)の女性・単数・対格
    dona : dōnō(贈る、与える、捧げる)の命令法・単数dōnā=与えたまえ。cf.英donation
    eis : 男性指示代名詞isの複数与格=彼らに
    Domine : dominus(m, 主人)の単数・呼格=主よ
    この行に関する詳しい検討はフォーレ・レクイエムの訳注も参照
  • lux : lūx(f, 光明、光)の主格=光が。cf.照度の単位ルクス
    perpetua : perpetuus(絶え間ない、永遠に続く)の女性・単数・主格
    luceat : lūceō(明るく照らす、輝く)の接続法三人称現在=照らしますように。cf.英lucent
    luceat eisのeisは対格ではなく与格なので、「彼らを照らしますように」とは言えない。彼らに(の上で)輝きますように
  • te : 二人称単数代名詞tū(あなた)の対格=あなたを
    decet : 動詞deceōの三人称現在(基本的にこの形のみを用いる非人称動詞)=ふさわしい
    hymnus : hymnus(m, 賛歌)の単数・主格=賛歌が
    Deus : deus(m, 神)の単数・呼格=神よ。中性名詞の単数・呼格ならdeīだが、神聖視されるものは呼格が主格と同じになる場合がある。
    in : 前置詞~において(奪格支配、時間・場所のある一点で)、~へ(対格支配=ある方向、時に向かって)
    Sion : シオン
  • tibi : 二人称単数代名詞tū(あなた)の与格=あなたに
    reddetur : reddō(戻す、復唱する)の受動態・直説法・三人称・未来形reddētur=復唱されるでしょう(捧げられるでしょう?)
    votum : vōtum(n, 誓い、祈り、願い、供物)の対格=願いを。voveō(誓約する)から。
  • exaudi : exaudiō(聞き分ける)の単数・命令法=聞き届けてください。接頭辞exを除いたaudiōは「聞く」cf.英audio
    orationem : ōrātiō(n, 談話、弁論、祈り)の単数・対格=祈りを。ōs(口)から。オラトリオもここから。
    meam : 所有形容詞meusの女性・単数・対格=私の
  • ad : 前置詞~へ、~に向かって。対格結合
    omnis : omnis(すべて)の単数・主格=みな。数量を表す形容詞は名詞の前に位置する。cf.英omnibus
    caro : carō(f, 肉)の主格。cf.英carnival < 伊carnevale < carō + levāre
    veniet : veniō(来る、至る、到着する)の三人称・単数・未来形=至るでしょう。cf.仏venir。
  • ここは式文本来の繰り返し
  • Kyrie : 主よ。ギリシア語(kurios=主人=の呼格)のラテン語読み
    eleison : 慈悲を与えてください。ギリシア語(eleeo=憐れむ、同情を抱く=の命令法)のラテン語読み。ミサ曲では定番の「憐れんでください」としたが、ここではフォーレのレクイエムでの訳を引き継いで「慈悲を与えてください」としておく。
  • 式文はKyrie-Christe-Kyrieでそれぞれを3回(新ミサでは2回)繰り返すことになっているが、ベルディではKyrieとChristeはしばしば重ねて歌われる。全体的には、Kyrie中心-Christe-Kyrie中心-Christeという形で、最後は独唱、合唱でChristeを斉唱して終わる。
曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-27イ短調 4/4 - イ長調Andante (♩=80) [1]Requiem aeternam (m.7)
28-55ヘ長調Poco più (♩=88)Te decet hymnus
56-77イ短調 - イ長調Attacca subito (come prima)Requiem aeternam
78-140イ長調Animando un pocoKyrie eleison
声部: 合唱→四重唱+合唱

弱音器をつけたVcの静かに下降する動機で始まります。これは分散和音によるAと、順次進行するBの2つの部分からなっており、これらがこの先の旋律の基本構成要素になって行きます。合唱の「安息を」は小声の同音反復で、このモノトーンな朗唱も、語りかけるような歌詞表現の場面でしばしば用いられます。

合唱Sopが歌う「与えてください」に添って弦楽器が表情を込めて奏でる旋律はBが、そしてすぐ続けて"et lux"に重なる甘美な分散下降はAが含まれることが分かるでしょう。

詩篇「あなたには賛歌が相応しい」はヘ長調となり、ア・カペラの合唱がBasから順にテーマを模倣しながら歌い始めます。このテーマはBの前にその反行形を加えたものと見ることができ、この三度上昇(あるいは下降)して元方向に戻る拡張形も重要な形です(B'と呼んでおきましょう[2])。

「安息を」に戻り、「絶えることのない光」のイ長調のまま「キリエ」に移ります。歌は独唱となり[3]、弦楽器が8分音符で刻む和音に乗って、まずTenが伸びやかに上昇していく旋律を歌います。低音楽器は、半音階を含んで順次下降する対旋律を奏でています(この下降音階も、後に形を変えて用いられます)。

「キリストよ」はセクションを分けることなく、同じ主題で「主よ」と交互に、あるいは同時に歌われます。合唱も加わって主題を模倣、展開して行き、ffに達しては弱まって新たな変奏の試みが繰り返されます。最後は独唱、合唱が一緒に「キリストよ」をpppで歌い、反行形となった対旋律が上昇して静かに終わります。

第2曲:Dies irae(怒りの日)

続唱(セクエンツィア sequentia、続誦)は9世紀以降何千とつくられましたが、16世紀のトリエント公会議で4つを残して廃止され、死者のためのミサではこの「ディエス・イレ」が用いられることになりました(現在は廃止)。13世紀の作と考えられ、強弱四歩格の韻律でかつ3行単位の脚韻を踏んで書かれています[4]。16世紀頃までのミサでは単旋律のグレゴリア聖歌(ベルリオーズの幻想交響曲などが引用していることでも知られます)として歌われていましたが、17世紀後半には劇的な音楽が付曲されることが増えました。

Dies irae怒りの日
Dies irae, dies illa,怒りの日、まさにあの日に、
solvet saeclum in favilla,解き砕くだろう、この世を灰に、
teste David cum Sibylla.ダビデとシビラが証したように、
Quantus tremor est futurus,どれほど震えがあるだろう、
quando judex est venturus,そのとき裁き手が来るだろう、
cuncta stricte discussurus!すべてを厳しく打ち砕くだろう!
Tuba mirum spargens sonumラッパが不思議な音ひびかせる
per sepulchra regionum,墓場を貫き、各地をめぐる、
coget omnes ante thronum.すべてのものを座前に集める。
Mors stupebit et natura死は驚くだろう、そして自然もだ
cum resurget creatura,そのとき創造物が蘇るからだ、
judicanti responsura.裁き手に答えるためにだ。
Liber scriptus proferetur,書かれた書物が出されるだろう、
in quo totum continetur,そこにはすべてがあるだろう、
unde mundus judicetur.それで世界が裁かれるだろう。
Judex ergo cum sedebit,裁き手がそうして席につくときだ、
quidquid latet apparebit,すべて隠れたるものが現れるのだ、
nil inultum remanebit.一人として罰を逃れおおせないのだ。
Dies irae, dies illa,怒りの日、まさにあの日に、
solvet saeclum in favilla,解き砕くだろう、この世を灰に、
teste David cum Sibylla.ダビデとシビラが証したように、
Quid sum miser tunc dicturus,何を哀れな私はそこで言いましょう、
quem patronum rogaturus,誰を弁護人と頼めばよいのでしょう、
cum vix justus sit securus? 正しくても安心でいられないのでしょう?
Rex tremendae majestatis,王よ、震慄させる威厳の方よ、
qui salvandos salvas gratis,救われるべきを無償で救う方よ、
salva me, fons pietatis.救ってください私を、慈愛の泉よ。
Recordare Jesu pie,思い至ってください、イエスよ、その慈愛に、
quod sum causa tuae viae,私があなたの旅の理由であったことに、
ne me perdas illa die.私を滅ぼさないでください、あの日に。
Quaerens me sedisti lassus,私を探し求め、疲れて腰を下ろして、
redemisti crucem passus:あがないました、十字架の苦しみを受けて:
tantus labor non sit cassus.大きな労苦が無にされないよう私は願って。
Juste judex ultionis,正しい裁き手よ、報いの、
donum fac remissionis贈り物をしてください、赦しの
ante diem rationis.その日の前に、決算の。
Ingemisco tanquam reus:私は呻きます、まるで被告人のさま:
culpa rubet vultus meus:過ちで赤くなります、私の顔のさま:
supplicanti parce, Deus.祈る者を見逃してください、神さま。
Qui Mariam absolvisti,マリアを赦した方、
et latronem exaudisti,そして盗賊を聞き入れた方、
mihi quoque spem dedisti.私にもまた希望を与えた方。
Preces meae non sunt dignae,私の祈りはあなたに値するものではない、
sed tu bonus fac benigne,けれども良きあなたは情けあってください、
ne perenni cremer igne.永遠の火で焼かれないようにしてください。
Inter oves locum praesta,羊の間の場所を与えて、
et ab haedis me sequestra,そして山羊からは私を隔てて、
statuens in parte dextra.立たせてください、右の側にて。
Confutatis maledictis,呪われた者が黙らされるときに、
flammis acribus addictis,厳しい炎に引き渡されるときに、
voca me cum benedictis.呼んでください私を、祝がれた者とともに。
Oro supplex et acclinis,私は祈ります、跪きそして身をかがめて、
cor contritum quasi cinis,心は灰のように粉々になって、
gere curam mei finis.気遣ってください、私の最後になって。
Dies irae, dies illa,怒りの日、まさにあの日に、
solvet saeclum in favilla,解き砕くだろう、この世を灰に、
teste David cum Sibylla.ダビデとシビラが証したように、
Lacrymosa dies illa,涙を流すあの日は、
qua resurget ex favilla,そのとき蘇るでしょう、その灰からは、
judicandus homo reus.裁かれるもの、人間が、被告人のさま。
huic ergo parce Deus:このひとを、だから見逃してください、神さま:
Pie Jesu Domine,慈愛深いイエスよ、主よ、
dona eis requiem.与えてください、彼らに、安息を。
Amen.アメーン
  • dies : diēs(f, 特定の日)の主格=日が
    irae : īra(f, 怒り)の単数属格
    illa : 代名詞ille(あれ)の女性主格
    主格なので「日が」の方が正確だが、脚韻を踏むために「日に」としておく。また他の行とリズムに近づけるために、「まさに」を加えてみた。この続唱の韻律については補足ディエス・イレの韻律を参照。
  • solvet : solvō(ほどく、破壊する)の三人称単数未来=解き砕くだろう。結びつけてあるものを緩めてバラバラにするということで、叩き壊す感じのdiscussurusと訳し分けてみた。
    saeclum : saeculum(n, ひとつの世代、その時の人々、生涯、何百年)の対格saeculumの別表記
    favilla : favilla(f, 熱い灰)の奪格(favillā)。in+奪格なので「灰の中で」
  • teste : testis(n, 証言)の奪格
    David : 男性固有名詞David(ダビデ)のたぶん属格。格変化しない。
    cum : 奪格支配前置詞~とともに/接続詞~するとき
    Sibylla : 女性固有名詞Sibylla(シビラ、シビュラ)の奪格。ギリシャ語のσίβυλλα(巫女、女預言者)から。古代地中海で信じられていた預言者で、デルポイのシビュラ、クマエのシビュラなどいくつかの地にいたとされる。『シビュラの書』『シビュラの託宣』といった神託集を通じてキリスト教世界にも伝わっていた。
  • quantus : quantus(どれだけ)の男性単数主格
    tremor : tremor(m, 震え、わななき)の単数主格 < tremō(震える)。トレモロと同じ。天地が震撼するとともに、自分が震えれば恐ろしさということでもある。
    futurus : sum(ある)の未来分詞
  • quando : いつ
    judex : jūdex(m, 裁き手)の単数主格。iudexとも。
    venturus : veniō(来る)の未来分詞
  • cuncta : cunctus(すべてのもの)の中性複数対格
    stricte : 副詞=正確に、厳しく
    discussurus : discutiō(打ち砕く、離す)の未来分詞。 < quatio(揺り動かす、粉砕する)。打ち叩いて粉々にする。cf. Libera meのdiscussio
    「怒りの日」は旧約ゼパニヤ(ゼファニヤ)書第1章、特に1:15 "Dies irae dies illa, dies tribulationis et angustiae, dies calamitatis et miseriae, dies tenebrarum et caliginis, dies nebulae et turbinis"から。ここで罰されるのは「主に背を向け/主を尋ねず、主を求めようとしない者」「高官たちと王の子ら」「主君の家を不法と偽りで満たす者ら」「商人たちはすべて滅ぼされ/銀を量る者は皆、絶たれる」など、主に対して罪を犯した者ということになっている。
  • tuba : tuba(f, ラッパ)の単数主格。tubus(パイプ、管)と同根で、(金)管楽器を意味する。トランペットとすることが多いが、たとえばモーツァルトのレクイエムではトロンボーンをあてている。主の大いなる日にラッパが鳴り響く話はいろんなところに出てくるが、たとえばイザヤ27:13、第1コリントス15:52、マタイ24:31、それに黙示録の7つのラッパなど。
    mirum : mīrus(不思議な、驚くべき)の男性対格。《Tuba mirum》がタイトルとして扱われることが多いため「不思議なラッパ」と考えそうになるが、男性だからtubaではなくsonumを形容する(不思議な音)。素晴らしいという意味も含むが、「妙なる」と訳すのはちょっとどうか。普通では聴けないような驚くべき音。cf.英miracle
    spargens : spargō(撒き散らす、広める、ふりかける)の現在分詞=響かせながら
    sonum : sonus(m, 音)の単数対格
  • per : 対格支配前置詞=~を通して、によって、貫いて
    sepulchra : sepulcrum(n, 墓)の複数対格sepulcraの別綴り。Doverスコア、Ricordi合唱譜ほか多くのところでsepulchraとなっている。モーツァルトのレクイエムでもsepulchra。
    regionum : regiō(f, 領域、境界)の複数属格=各地の
  • coget : cogō(追い込む、集める、~させる)の三人称単数未来。主語はtubaということになる(ラッパが、不思議な音を世界中の墓を貫いて響かせて、すべての人を玉座の前に集める)
    omnes : omnis(m, すべての人)の複数対格=すべての人々を。女性名詞、中性名詞でもある。
    ante : +対格で「~の前に」。
    thronum : thronus(m, 玉座)の単数対格
    マタイ25:32 "et congregabuntur ante eum omnes gentes"(そしてすべての民族が彼の前に集められる)
  • mors : mors(f, 死)の単数主格
    stupebit : stupeō(驚く)の三人称単数未来。度を失う、呆れるほど驚く、呆然とする→英語のstupid。
    natura : nātūra(f, 自然)の単数主格
  • resurget : resurgō(ふたたび立ち上がる、復活する)の三人称単数未来。 < re+surgō(起き上がる)
    creatura : creātūra(f, 創造物)の単数主格
  • judicanti : jūdicō(裁く)の現在分詞jūdicāns(裁いている、裁く者)の女性?単数与格
    responsura : 動詞 respondeō(答える)の未来分詞respōnsūrusの女性形単数奪格=答えるために
  • liber : liber(m, 書物)の単数主格。cf.長母音līberだと自由。
    scriptus : scrībō(書く)の完了受動分詞=形容詞・男性単数主格scrīptus(書かれた)
    proferetur : prōferō(現れる、出す)の三人称単数未来受動態=出されるだろう。 < prō (前に)+ferō(運ぶ)
  • quo : 関係代名詞=そこに
    totum : tōtus(m, すべて、全体)の単数対格。
    continetur : contineō(含む、囲む)の三人称単数受動態 < con(いっしょに)+teneō(保持する)
  • unde : 副詞=そこから
    mundus : mundus(m, 世界、宇宙)の単数主格
    judicetur : jūdicō(裁く)の接続法三人称単数現在受動態=裁かれる
  • ergo : 副詞(正に、正確に、したがって)あるいは接続詞(ゆえに)ergō
    sedebit : sedeō(座る)の三人称単数未来
  • quidquid : 代名詞=何ものも、何人も < quid(なに、どれだけの、どこまでの)
    latet : lateō(隠す)の三人称単数
    apparebit : appāreō(現れる)の三人称単数未来
  • nil : 何もない
    inultum : inultus(罰を逃れる)の中性単数主格 < ulcīscor(罰する、復讐する)
    remanebit : remaneō(残る、のままでいる)の三人称単数未来 < re+maneō(留まる、残る)
  • quid : 接続詞=なに、なぜ
    tunc : 副詞=そして、それから
    dicturus : dīcō(言う)の未来分詞dictūrus(言うこと)の男性単数主格
  • quem : 関係代名詞qui(what, who etc)の単数対格
    patronum : patrōnus(m, 守ってくれる人、弁護者)の単数対格
    rogaturus : rogo(聞く、尋ねる)の未来分詞rogātūrus(尋ねること、頼むこと)の男性単数主格
  • vix : 副詞=めったにない、稀な
    justus : jūstus(正義の、高潔な)の男性単数主格の名詞用法
    sit : sum(ある)の接続法三人称単数現在=あるだろう
    securus : sēcūrus(m, 不注意、安心、恐れがない)の単数主格
    cf.第1ペテロ書簡4:18 "si justus vix salvabitur"(義人でさえかろうじて救われるのだとすれば)
  • rex : rēx(m, 王)の単数主格=王が
    tremendae : tremendus(途方もない、恐ろしい、震え上がるような)の女性単数属格。rexは男性名詞主格なので、これはmajestatisを修飾する。
    majestatis : mājestās(f, 威厳)の単数属格
  • salvandos : salvō(救う、安全にする)の未来受動分詞salvandus(救われるべきもの)の男性複数対格
    salvas : salvus(安全である)の女性形複数対格
    gratis : 副詞=無条件に、見返りを求めることなく < grātia(寛容、恩恵)の複数奪格grātiīsから
  • salva : salvō(救う、安全にする)の命令法
    fons : fōns(m, 泉)の単数呼格
    pietatis : pietās(f, 慈悲、慈愛)の単数属格
  • recordare : recordor(思い出す)の命令法 < re(再び)+cor(心)。「思い出してください」だが、目的語を「~ことに」として脚韻を踏むために「思い至ってください」とした。
    pie : pius(聖なる、慈愛深い)の男性単数呼格。「慈愛に満ちたイエスよ」であって「その慈愛に」とするとrecordareの目的語のようになってしまうが、脚韻のためです。すみません。フォーレ・レクイエムの訳注も参照
  • quod : 接続詞which, because
    causa : causa(f, 原因、動機)の単数主格
    tuae : 所有代名詞tuus(あなたの)の女性単数属格
    viae : via(f, 道、旅)の単数属格
    人を救うために天から降りてきてまた天に戻って行ったことを「旅」と呼び、sum causaだから“私”がその動機になっている、つまり“私”を救うために旅をしたのであったことを思い出してくださいと。
  • ne : 否定の副詞/接続詞。~しないでください。
    perdas : perdō(滅ぼす)の接続法二人称単数
    イエスが裁いたり滅ぼしたりするわけない…という話は、また後日。
  • quaerens : quaerō(求める、尋ねる)の現在分詞quaerēns
    sedisti : sedeō(座る)の二人称複数完了形
    lassus : lassus(疲れている)の男性単数主格(副詞的用法)
    イエスが旅に疲れて井戸端に腰を下ろす場面は、ヨハネ第4章のイエスとサマリヤ人の女の挿話にある。もっともそこでヨハネは差別意識や教会/使徒の批判を展開しているのだが。
  • redemisti : redimō(あがなう、救う)の二人称単数完了形 < red-(再び)+emo(買う)=買い戻す
    crucem : crux(f, 十字架)の単数対格
    passus : patior(苦しみを受ける)の3人称単数・完了形。
  • tantus : tantus(非常に大きな)の男性単数主格。"Allegro non tanto"などで使う伊tantoと同じ
    labor : labor(m, 働き、疲れ)の単数主格
    cassus : cassus(空の、空洞の、欠けている)の男性単数主格
    “私”のために旅をしたり十字架に付けられるといった大きな苦労をしたのであったのに、その“私”が滅ぼされてしまっては苦労が無になってしまうではありませんかと。命令法なので「無にされませんように」だが、「私は願って」と付け加えて脚韻を揃えた。
  • juste : jūstus(正しい、高潔な)の男性単数呼格
    ultionis : ultiō(f, 復讐)の単数属格。旧約聖書以来の神は、従わないものは徹底的に滅ぼす復讐の神でもあった。ただしベルディの場合、ここもRecordareの旋律で甘美に歌われるので、何というか、畏敬を表す飾りみたいな扱い。
  • donum : dōnum(n, 恩恵、贈り物)の単数主格
    remissionis : remissiō(f, 赦し、解放)の単数属格 < re(元に)+missio(送る)
  • diem : diēs(f, 日)の単数対格
    rationis : ratiō(f, 理由、計算)の単数属格
    決算が行なわれる日、つまり最後の審判の前に、赦しをプレゼントして滅ぼされない側にしてくださいと。
  • ingemisco : ingemēscō(苦悩する、呻く)の一人称単数主格の別形 < ingemō(呻く、ため息をつく) < gemō(嘆く、軋む)
    tanquam : 副詞=ちょうど、そのように(as)
    reus : reus(m, 被告)の単数主格。もともとは何かを行なう一方の側を表し、原告、被告の両方の意味があったが、のちに被告に限定して用いられるようになった。質問に対して答える、あるいは行動する責任がある立場のこと。被告=罪人という短絡は昔ながらで、罪があるという意味にも用いられるが、ここではこれから審判を受けるのだから被告人。
  • culpa : culpa(f, 過ち)の単数奪格=過ちで。非難、罰を受ける対象となる失敗、あるいは罪だが、意図的なscelusと違って、冤罪も含む。
    rubet : rubeō(赤くなる)の三人称単数
    vultus : vultus(m, 顔、表情)の単数主格
    meus : meus(私の)の男性単数主格
    「私の顔が」だが、脚韻のために「私の顔のさま」とした。
  • supplicanti : supplicō(祈る、嘆願する)の現在分詞supplicāns(祈る者)の単数与格
    parce : parcō(容赦する、慎む、使わずにおく)の命令法
  • Mariam : 固有名詞Maria(マリア)の単数対格=マリアを。七匹の悪霊が(イエスによって)出て行ったとルカ8:2に記されているマグダラのマリアのことだと言われる。
    absolvisti : absolvō(赦す)の二人称単数完了形 < ab(~から)+solvō(解く、緩める、解放する)
    イエスが社会的弱者の味方であったのは確かだが、マリアから悪霊が出て行ったことがなぜ「赦される」なのか? これは、その直前ルカ7:36~50に出てくる「罪のある女」が後世(カトリック教会において)このマリアと同一視されたため。グレゴリウス1世が七匹の悪霊を七つの大罪に結びつけたことなどによるそうだが、聖書にはそんなことは全く書いてない。
  • latronem : latrō(m, 傭兵、強盗)の単数対格。
    exaudisti : exaudiō(聞き入れる)の二人称単数完了形。
    ルカが付け加えた聖者伝説によるとされるが、これについてはまたいずれ。
  • mihi : 代名詞ego(私)の与格=私に
    quoque : 副詞=さらに、同様に、~もまた
    spem : spēs(f, 希望)の単数対格
    dedisti : (与える)の二人称単数完了形。
  • preces : prex(f, 祈り)の複数・主格=祈りは
    meae : meus(私の)の女性複数主格
    sunt : 動詞sumの三人称複数現在=~である
    dignae : dīgnus(価値ある、ふさわしい)の女性複数対格
  • sed : 接続詞=けれども
    benigne : 副詞=情け深く
  • perenni : perennis(永続的な、永遠の)の男性単数奪格
    cremer : cremō(焼き滅ぼす、灰燼に帰す)の接続法一人称単数受動態
    igne : ignis(m, 火)の単数奪格
  • inter : 対格支配前置詞=~の間
    oves : ovis(f, 羊)の複数対格
    locum : locus(m, 場所)の単数対格
    praesta : praestō(立つ、優る、与える)の単数現在命令法
  • haedis : haedus(m, 若い山羊)の複数対格
    sequestra : sequestrō(分ける、隔てる)の命令法
  • statuens : statuō(上げる、立たせる)の現在分詞
    parte : pars(f, 部分)の単数奪格。in parte=部分に
    ここはマタイ25:31~46の羊と山羊を分ける話から。すべての民族が集められて、羊飼いが羊と山羊を分けるように引き離され、羊(義人)が右側、山羊(王=主を受け入れなかった者)が左側に置かれる。そして「王」は右側の者たちを祝福し、左側の者たちに対し呪われて永遠の火に向かうと宣言する。
  • confutatis : cōnfūtō(抑制する、静める、禁ずる、やり込める)の完了受動分詞cōnfūtātumの複数奪格=静まらされるとき。沸騰する液体を収まらせることから。
    maledictis : maledīcō(呪う、侮辱する)の完了受動分詞maledictus(呪われたもの)の複数奪格=呪われたものたち。 < male(悪く)+dīcō(言う)。羊飼いの話で右側に立たせてもらえず左側に置かれた者たちということになる。
  • flammis : flamma(f, 炎)の複数奪格
    acribus : ācer(鋭い、苦い、辛辣な)の女性複数奪格
    addictis : addīcō(割り当てる、報いる、委ねる、捨てる、捧げる、犠牲にする)の完了受動分詞addictus(委託、引渡された)の女性複数奪格(?) < ad(~へ、向かって)+dīcō(言う)。原義は同意を与えること
  • voca : 動詞 vocō(呼ぶ、名付ける)の命令法
    benedictis : benedīcō(祝福する)の完了受動分詞benedictus(祝福されたもの)の複数奪格=祝福されたものたち。benedictīs < bene(良く)+dīcō(言う)。maledictisと反対に、右側に立たせてもらった者たちになる。
  • oro : ōrō(語る、願う、祈る)の一人称単数
    supplex : supplex(跪いた、哀願する)の男性単数主格。cf.supplicanti < supplicō(祈る、嘆願する)
    acclinis : acclīnis(屈んだ、もたれた、傾いた)の男性単数主格
  • cor : cor(n, 心)の単数対格
    contritum : conterō(砕く、すりつぶす)の完了受動分詞contrītus(砕かれた)の中性単数対格 < terō(挽いて粉にする、すり減らす)
    quasi : 接続詞=あたかも
    cinis : cinis(m, 冷たい灰、灰燼に帰した廃墟)の単数主格。favillaは軽い灰、あるいは(まだ火の残っている)熱い灰
  • gere : gerō(運ぶ、着る、持つ)の命令法
    curam : cūra(f, 心配、悲しみ)の単数対格
    mei : 代名詞ego(私)の単数属格=私の
    finis : fīnis(m, 終わり)の単数属格
    終わりの時の私の心配を受け止めてください。「終わりの時」を臨終という意味で捉えているものもあるが、ここまでさんざん最後の審判への不安を訴えてきたのだから、その時と考えるほうが素直だろう。ただし聖書で「終わりの日」というときのラテン語はnovissimo dieで、finisではないから、やはり“私”個人の終わりであって「終末」とは訳しにくい。
  • lacrymosa : lacrimōsus(涙を流している)の女性単数主格 < lacrima(涙)。tearと同根だそうだ(lacrima < dacrima < *dákru-, tear < teahor < *takh-という感じらしい)。通常の綴りはlacrimosaだが、ELDにはlacryma*もvery rareとして載っている。またモーツァルトのレクイエム自筆譜を見ると、やはりLacrymosaと記されている(ブライトコプフの楽譜は1810年頃のものではLacrymosaだが、ブラームスが校訂した1877年版ではLacrimosaに修正されている)。
  • qua : 関係代名詞quī(その)の女性単数奪格
  • judicandus : jūdicō(裁く)の未来受動分詞(裁かれるもの)の単数主格
    homo : homō(m, 人間)の単数主格
    reusも主格だから「裁かれるものである人間、すなわち被告人が」。ここも2行ずつ脚韻が踏まれているので、次行末のDeusと揃えるのが苦しいところ。
  • huic : 代名詞hic(これ、彼)の男性単数与格
    ergoは、これまで述べてきたように祈っているので、ということか。ちょっと唐突な感じ。ここは審判の話ではなく死者を思う場面と捉えたいので「見逃す」は違和感があるが、Ingemiscoでのparceと訳語を揃えた。
  • Ricordiの1875年版合唱譜のテキストをはじめ、前のhuic~をこちらのグループに入れて3行連にしているものもあるが、式文としてはこのPie Jesuからが一区切り。ベルディの音楽もはっきりここで区切られている。
  • Lacrymosaの2節は、それまでの三行連とは異なる形になっており、内容からも後世の付加と考えられる[井形, p.39]。
  • amen : 「そのとおり」「まことに」といった意味のヘブライ語の音写āmēn。ミサ曲では「そうでありますように」という訳語を充てたが、レクイエムではとりあえずアメーンとしておく。

ベルディの場合、続唱は次の9セクションで構成されています(連続して演奏されます)。

  1. Dies irae
  2. Tuba mirum
  3. Liber scriptus
  4. Quid sum miser
  5. Rex tremendae
  6. Recordare
  7. Ingemisco
  8. Confutatis
  9. Lacrymosa

(一般に定まった分け方があるわけではなく、例えばモーツァルトのレクイエムでは、Tuba mirum~Quid sum miser、Recordare~Ingemiscoをそれぞれまとめて計6セクションにしています。)

Dies irae

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-73 ト短調 4/4 - ニ短調 - ハ短調 Allegro agitato (𝅗𝅥=80) Dies irae (m.5)
74-90変ホ短調 - ヘ短調 - ト短調Quantus tremor est futurus
声部: 合唱

ト短調の厳しい和音の連打、雷鳴のような管楽器、嵐のごとく下降する弦楽器、そして地響きを立てる大太鼓。世界を灰燼に帰す恐るべき力の描写で曲が始まります。半音階で上昇する男声合唱の入りは切迫した表情を表す複付点リズム。女声も加わって2部に分かれると、下パートの三連符はB'になっています。

「解き砕くだろう」はニ短調(《レクイエム》の"dona"の姿が見えます)、そして半音階的に下降してくる「ダビデとシビラが」に続いて反復される「怒りの日」はハ短調(Bです)。どこをとっても凄まじい“怒りの日の音楽”ですが、この続唱における「怒りの日」の描写はすべて未来形。不条理に満ちた世界を精算する最後の審判の予告(あるいは想像)なのです。

嵐は静まっていくようですが、まだ"Dies irae"は陰鬱につぶやかれています。低音楽器が「怒りの日」の動機Bppで繰り返し、VnVcが震えを表すようなトリルを交互に奏する上で、第2節「どれほど震えが」が途切れ途切れの同音反復で歌われます。変ホ短調、ヘ短調、ト短調と順次転調して行き、最後にやや意外なハ短調(iv)の和音にたどり着きます。

Tuba mirum

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
91-139変イ短調 4/4Allegro sostenuto (♩=88)Tuba mirum spargens sonum (m.117)
140-161ニ短調Molto meno mosso (♩=72)Mors stupebit et natura
声部: Bas独唱+合唱

別働隊を含む8本のTpのファンファーレ[5]が次のセクションの開始を告げます。変ホで始まりますが、20小節を経てようやく金管合奏が解決する到達点は変イ短調。全力でと指示された付点、シンコペーション、そして三連符の応酬が、圧倒的な威圧感で迫ってきます。

全合奏を(そして世界の各地を)貫く別働隊のTpにはAの反行形の分散和音、さらに合唱にもBasの下降旋律をはじめAやその反行形を含む分散和音が用いられています。音楽は変ホ短調/長調に引き寄せられながら激しく轟き続けますが、突然イ長調の和音を響かせて休止します。

Molto memo mossoのニ短調になってからは、Bas独唱が「死は驚くだろう」を歌います。同音反復中心の旋律ですが、音程はAの反行形です。弦楽器の伴奏は、重い足を引きずるような行進曲でしょうか。"Mors"が全休止をはさみつつ半音ずつ下降して行くと、最後に再びイ長調の和音が静かに鳴り渡ります。死は、自然は、息を潜めて驚いています。

Liber scriptus

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
162-177ニ短調 4/4Allegro molto sostenuto (♩=88)Liber scriptus proferetur
178-235ニ長調 - ロ短調 - ニ長調 - ニ短調Judex ergo cum sedebit (m.183)
236-269ト長調 - ト短調(ハ短調)Allegro agitato (come prima)Dies irae (m.239)
声部: Ms独唱+合唱

審判の場面。直前の和音がドミナントとなってのニ短調です。三人称の未来形で、Ms独唱[6]は語り手として厳かに歌います。第1節「書物が」は、まず2行が最後の音だけ五度上昇する同音反復のフレーズ、後半は3行目「それで世界が」を滑らかに下降する(しかし複付点リズムの)旋律で、さらにカデンツとして3行目をもう一度繰り返すという16小節で構成され、オペラの旋律構造を思わせる作りです[7]。最後に合唱がpのユニゾンで"Dies irae"と結びます。

ニ長調のコラール風ファンファーレで「裁き手が」登場し、第2節となります。よりダイナミックな旋律で伴奏も振幅が大きくなりますが、ニ短調に回帰して、後半は「それで世界が」と同じ下降旋律が用いられます。第1節に戻って、装飾音付きの主音を反復するバスの上で、複付点リズムの旋律で「書物が」を繰り返し、第2節の前半「裁き手が」を弱拍にアクセントを置く単付点リズムで歌います。「一人として」では休符が巧みに用いられ、忍び足で歩くかのよう。三度目は第1節の1行目のみがAを用いた形で歌われます。

合唱ユニゾンの"Dies irae"が緊迫したところでト短調となり、“怒りの日の音楽”が再び現れます。嵐はずっと続いていたことを示すごとく、冒頭からではなくハ短調上の属九(g:V9/iv)となる後半からが用いられ、改めて合唱ユニゾンの"Dies irae"となって消えゆくように半終止します。

Quid sum miser

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
270-321ト短調 6/8 - ト長調Adagio (♪=100)Quid sum miser tunc dicturus (m.272)
声部: SopMsTen独唱

場面は転換して、自分自身が審判の場に引き出されるときを想像するAdagioです。Clが前セクションで宙吊りになっていたカデンツを解決すると、Fgが独特の上昇6連符を物悲しく奏で始めます。「何を哀れな私は」と歌詞はここから一人称。歌は引き続きMs独唱ですが、役割が語り手から“私”に切り替わっています[8]

同じ節の繰り返しはTen独唱で始まりますが、SopMsも加わって三重唱となります(審判の場に複数の被告が同時に呼ばれるのでしょうか、それとも“私”の異なる面を同時に描くのでしょうか)。3回目の繰り返しでは、二度下降して休符を挟む“ため息”の表現からト長調に転じて明るい光が少し見えますが、A♭によってこれはハ短調の属九となり、すぐに雲に覆われてしまいます。

最後は無伴奏の独唱が順番に1行ずつ歌って、ハ短調のドミナントで次に続いていきます。

Rex tremendae

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
322-382 ハ短調 4/4 - 嬰ヘ長調 - ハ短調 - ハ長調 Adagio maestoso (♩=72) Rex tremendae majestatis
声部: 四重唱+合唱

審判を行なう「震慄させる威厳の」王は、複々付点の鋭いリズムでハ短調の分散和音を下降するBas合唱が、低音楽器を伴って表現します。分割されたTen合唱が第2行を呟いた後、第3行の「救ってください私を」はBas独唱のなめらかな旋律で歌われ、短三度ずつ転調しながらMsTenと独唱が受け継いで行きます。対照的な音楽ですが、いずれもAの応用である下降分散和音を基本としており、後者は前者から導かれたものであることが分かります。Sop独唱は"Salva me"を合いの手のように付点リズムで挿入しています。

節の最初に戻って今度は“王”と“私”が同時に現れ、さらにSop独唱に導かれて嬰ヘ長調に転じるとppで全体が「救ってください私を」を歌い、転調して行きます。ハ短調に戻ってffとなり、改めてBas合唱に“王”のテーマが出てきますが、ここではBas独唱も“王”を、そして上三声部が“私”をこれまでと異なる形で受け持ち、合唱と独唱が交互に歌うようになります。

Sop独唱がc3に達して緊迫した音楽は堂々たるハ長調に解決し[9]、ひとつのクライマックスを築きます。さらに「救ってください私を」がBas独唱から合唱各声部に順番に受け継がれて願いが届く希望が高まり、低弦が短二度上昇する動機を呟きながら静まって行きます。

Recordare

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
383-446ヘ長調 4/4 ヘ短調/ヘ長調Lo stesso tempoRecordare Jesu pie
声部: SopMs独唱

審判を行なう王は(三位一体教義によれば)イエスでもあるはずなので、その慈愛の深さに訴えようというわけです。前セクションで"Salva me"の願いが届くという希望が垣間見えたことから、ここは穏やかなヘ長調となり、「思い至ってください」をMs独唱が表情を込めて、次いでSop独唱が朗々と歌います(後半には、よく見るとB'成分が含まれています)。Cbはずっと主音を、Vcは前セクション末尾から続く短二度上昇動機を続け、木管は"Salva me"と同じ付点合いの手をフレーズの末尾に加えています。

独唱は重なり、3行目「私を滅ぼさないでください」でいったんヘ短調に移りますが、すぐに長調に戻って第1節を締めくくります。第2節「私を探し求め」は最初からヘ短調で、フェルマータや“ため息”を駆使した重唱です。節末でヘ長調をとり戻し、第3節「正しい裁き手よ」が最初と同じ形(ただし重唱)で始まります。「その日の前に」でややテンポを速め、独唱二人の甘美なカデンツァへ。「その日の前に、決算の」をゆっくり交互に繰り返し(低音と旋律アウフタクトの付点音符が"Salva me"を微かに回想しつつ)見せ場を終えます。オペラならここで拍手喝采というところでしょう[10]

Ingemisco

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
447-456ハ短調 4/4 - ハ長調Ingemisco tanquam reus
457-502変ホ長調 - 変ト長調 - 変ホ長調Poco meno mossoQui Mariam absolvisti
声部: Ten独唱

自分が裁きを受ける被告人の立場である[11]ことを思い出す「私は呻きます」は、ハ短調となってTen独唱がモノローグを歌い始めます。前セクションを受け継いで付点アウフタクトで始まる旋律には、《Dies irae》のB'や《Rex tremendae》のA'が刻印されています。3行目「祈る者を見逃してください」でハ長調に転じた後、第2節「マリアを赦した方」は変ホ長調で甘美ながらも平静な調べとなりますが、その旋律は第1節から導かれたものです。

第3節の「私の祈りは」は、第1節の付点アウフタクトで半音を上下する不安な表現。伴奏の三連符に第2節のB'を響かせながら、変ト長調から変ロ短調へと流れて行きますが、結びははっと目覚めるように変ロ長調に落ち着きます。Obに導かれる第4節「羊の間の」は、第2節の旋律を反転させた形。途中からテンポを速めながら伴奏の和声が半音階的に推移し、3行目「立たせてください」でようやく主調の変ホ長調が戻ってきます。3行目を繰り返して「右の側にて」のb1で独唱の見せ場をつくり、苦悩で始まったセクションを希望の響きで締めくくります。

Confutatis

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
503-513ホ長調 4/4 - イ長調Andante (♩=96)Confutatis maledictis
514-531嬰ハ短調 - ホ短調 - ホ長調Oro supplex et acclinis
532-543変ト長調voca me cum benedictis
544-572嬰ハ短調 - ホ短調 - ホ長調Oro supplex et acclinis
573-623 ト短調 - ニ短調 - 変ロ短調 Allegro come prima (𝅗𝅥=80) Dies irae (m.575)
声部: Bas独唱

悪人どもは滅ぼされるけれども、私は祝福される側に入れてくださいという、たいそう率直な祈りです。「呪われた者が黙らされるときに」は《Rex tremendae》同様に付点リズムのBasで歌い始められますが、こちらは独唱で付点も一つ少なく、分散和音ではなく同音反復の後に1オクターブ下降します。入り口の和音はホ長調のドミナントということでしょう。3行目「呼んでください私を」は甘美にppのホ長調で始まりますが、イ長調の方向に行ってしまいます。

第2節「私は祈ります」は、弦楽器が刻む8分音符の和音に乗って嬰ハ短調風に始まり、3行目でホ長調のドミナントに戻りますが、主和音が聞こえたと思うやいなやホ短調に転じて安定しません[12]。繰り返した第2節の3行目「気遣ってください」でじっくりカデンツを構成し、本来のホ長調に解決します。

第1節がより激しい管弦楽を伴って繰り返されると、3行目「呼んでください私を」は変ト長調でがらりと気分を変え甘美に歌う調べ。木管と交互に、そしてさらに転調して重なって変イ長調で終止した後、弦楽器の経過句を経て第2節がほぼそのまま戻ってきます。「気遣ってください」を歌うコーダとなり、カデンツが来てドミナントの和音に独唱が"finis"を伸ばし、ようやくこれで解決…

となるはずが、驚きのト短調和音連打で3度目の“怒りの日の音楽”に突入。今度は最初からですが、《Liber scriptus》での再現とは逆に、ニ短調から減七を経てffで変ロ短調のサブドミナントへ。和音が解決しない状態で次第に弱まり、B'の反行形を奏でて半終止します。最後の審判は宙吊りとなったまま、予告が幻と消えてしまうかのようです。

Lacrymosa

曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
624-665変ロ短調 4/4 - ヘ長調 - 変ロ短調Largo (♩=60)Lacrymosa dies illa
666-701変ト長調 - 変ロ短調 - 変ロ長調Pie Jesu Domine
声部: 四重唱+合唱

三人称に戻って、スタイルもここまでの三行連とは異なる歌詞となります。ベルディは直前の“怒りの日の音楽”によって舞台を転換し、死者を思う音楽に戻ってこようとしたのかも知れません[13]。 変ロ短調でMs独唱が非常に感情を込めて第1節を歌います。Bas独唱に引き継ぎぐと、Msは1行目を泣くようなシンコペーションで木管とともに寄り添います。この涙は、2、3行目の歌詞を包み込んでしまい、(裁きを受けるからではなく)死者の弔いのためと読み替えられるような気がします。

女声合唱とSop独唱が加わって、変形された旋律で「このひとをだから見逃してください」を歌い、今度は男声の独唱と合唱による「涙を流すあの日」となります。Sop独唱はより装飾的で悲しげなシンコペーションを、他の女声は新たな対旋律を受け持ち、声楽、管弦楽ともにフル稼働です。

女声、木管、高弦だけになって一時的にヘ長調に転じた後、変ロ短調に戻ってややテンポを早め、Bas合唱から順番に、圧縮された「このひとをだから見逃してください」を重ねて高揚して行きます。一息置いて最高に甘美なア・カペラ四重唱となる「慈愛深いイエスよ」は変ト長調。

ぐいっと変ロ短調を手繰り寄せ、合唱も加わって「慈愛深いイエスよ」をひとしきり歌った後、「安息を」を繰り返しながら、変ロ長調の和音で結ばれ…る前に、全く違う方角から光が差すかのごとくト長調(V/II)で"Amen"が。最後に改めて管弦楽が変ロ長調の和音を奏して、長い長いセクエンツィアが終わります。

第3曲:Offertorio(奉納唱)

Offertorio奉納唱
Domine Jesu Christe, Rex gloriae,主よ、イエス・キリストよ、栄光の王よ、
libera animas omnium fidelium defunctorum解き放ってください、魂を、全ての信実の死せる者の
de poenis inferni, et de profundo lacu:下の世界での報いから、そして深い淵から:
libera eas de ore leonis,解き放ってください、彼らを、獅子の口から、
ne absorbeat eas tartarus,飲み込みませんように、彼らを、冥府が、
ne cadant in obscurum:落ち込みませんように、闇の中に:
sed signifer sanctus Michaelそうではなく、旗手聖ミカエルが
repraesentet eas in lucem sanctam.連れ戻ってくれますように、彼らを、聖なる光へと。
Quam olim Abrahae promisistiそれは、その昔、アブラハムに約束されたこと
et semini ejus. そして彼の子孫にも。
Hostias et preces tibi, Domine,いけにえと祈りをあなたに、主よ、
laudis offerimus,称賛をもって捧げます、
tu suscipe pro animabus illis,あなたよ、受け入れてください、彼らの魂のために、
quarum hodie memoriam facimus,その魂の、今日、追想を行なっているのです、
fac eas, Domine, de morte transire ad vitam.それら魂に、主よ、死を越えさせてください、生へ向かって。
Quam olim Abrahae promisistiそれは、その昔、アブラハムに約束されたこと
et semini ejus. そして彼の子孫にも。
Libera animas omnium fidelium defunctorum解き放ってください、魂を、全ての信実の死せる者の
de poenis inferni, et de profundo lacu:下の世界での報いから、そして深い淵から:
fac eas de morte transire ad vitam.それら魂に死を越えさせてください、生へ向かって。
  • gloriae : gloria(f, 栄光)の単数属格=栄光の
  • libera : līberō(自由にする、解放する)の命令法・単数līberā=解き放ってください
    animas : anima(f, 空気、息をするもの、魂)の複数・対格animās=魂を。男性名詞animusは「精神、心」。cf.英animal
    omnium : omnis(すべて)の複数・属格=すべての
    fidelium : fidēlis(信じる、信実である)の男性複数属格=信実の。教会的には信者だが、みんなが救われればいい。
    defunctorum : 男性名詞あるいは形容詞のdēfūnctus(死者)の複数・属格=死者の。 < dē(否定)+fungor( < fungo=機能する、遂行する)
  • de : 前置詞~から。奪格結合
    poenis : poena(f, 罰金、償い、報い、罰)の複数・奪格=報いから。cf.英penalty
    inferni : īnfernus(下に住む、地下の、地獄の)の中性名詞形単数・属格=下の世界の。一般には男性名詞形の属格と捉えて「地獄の」と訳すもので、最初は「地獄の罰から」としてみたが、やはりそんな中世的なおどろおどろしさは遠慮したいので変更。フォーレ・レクイエムの訳注も参照
    profundo : profundus(深い)の男性単数・奪格。cf.英profound
    lacu : lacus(m, 穴、洞穴、湖)の単数・奪格=淵から。cf.英loch(スコットランドの湖)
  • eas : 女性指示代名詞ea(それ)の複数対格=それらを。ここでは女性複数のanimasを指すはず
    ore : ōs(n, 口)の奪格=口から
    leonis : leō(m, 獅子)の単数・属格=獅子の
  • ne : 否定の副詞/接続詞。接続法三人称現在を伴うと~すべきでない。~せしめるな。否定命令は接続法完了と。
    absorbeat : absorbeō(飲み込む)の接続法・三人称単数現在(主語はtartarus)。ne absorbeat=飲み込みませんように。cf.英absorb
    tartarus : tartarus(m, 下界、冥府)の主格。ギリシャ神話の暗黒神タルタロスから
  • cadant : cadō(落ちる)の接続法三人称複数現在(主語はanimas)。ne cadant=落ちませんように。カデンツは音楽的な「落ち」。
    obscurum : obscūrum(n, 闇 < obscūrus覆われた、暗い)の対格。in obscūrum=闇の中へ。cf.英obscure
  • sed : 接続詞=しかし、まったく
    signifer : signifer(しるしを持った、天の)の男性単数主格
    Michael : 天使ミカエル。ダニエル書の最後の幻(10~12章)で、戦いが続く中で民を守る天使として預言される(その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する)。また黙示録第12章では、竜の姿となったサタンと戦い、地上に投げ下ろしたと記されている(さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである)。
  • repraesentet : repraesentō(持ってくる、連れ戻す、示す)の接続法三人称単数=連れ戻してくれれば。どこを見ても「導く」「bring/lead/conduct them into」という訳ばかりなのは奇妙なこと。英語圏での議論を見ると、これを「present」の意味に取り、天使ミカエルが天の印を持っていることから「神に拝謁させる」ととらえて「present the souls of men to God」となるのだという主張があるが、どうだろ。天からやってきたミカエルが天の永遠の光に連れて帰る、ととらえるほうが素直じゃないだろうか。
  • quam : 関係代名詞quīの女性単数対格
    olim : 副詞=かつて、その昔、いつか。ille(あれ、あの)の古形ollusからで、離れたときを示す(未来にも使う)。
    Abrahae : Abrahamの属格。目的語である対格関係代名詞quamにAbrahaeが目的の属格として結びつく=アブラハムに
    promisisti : prōmittō(約束する)の二人称単数現在完了=約束した
    創世記第15章には、神がアブラハムに星の数ほどの子孫を与える(そしてその子孫にこの地を与える)ことを約束したという話がある。まぁずーっと昔から守ってもらう約束になっていますといいたいわけだ。
  • semini : sēminium(n, 子孫)の属格=子孫の
    ejus : 中性指示代名詞id(その)の属格=彼の
  • hostias : hostia(f, 犠牲)の複数・対格=いけにえを。
    preces : prex(f, 祈り)の複数・対格=祈りを
  • laudis : 名詞laus(称賛)の単数属格=称賛の、~への称賛。laudō(称賛する、ほめる)の関連
    offerimus : offerō(捧げる)の複数一人称=(私たちは)捧げます
  • tu : 二人称単数代名詞tū(あなた)の主格
    suscipe : suscipiō(受け入れる、支持する)の命令法=受け入れてください
    pro : 奪格支配前置詞~の前に、~のために
    animabus : anima(f, 魂)の複数奪格。普通の活用はanimīsだが、教会ラテン語においては、animaの複数与格、奪格は常にanimabusだそうだ
    illis : 指示代名詞ille(あれ、あの)の複数奪格=あれらに
  • quarum : 関係代名詞quīの女性複数属格
    hodie : 副詞=今日(hōc < hicこの + diē日)
    memoriam : memoria(f, 記憶、追想、思い出)の単複数対格=追想を
    facimus : faciō(作る、する)の一人称複数現在
  • fac : faciōの命令法
    morte : mors(f, 死)の奪格。de morte=死から
    transire : trānseō(横切る、避ける、越える)の不定法
    ad vitam : vīta(生、生命)の単数対格=生へ。cf.英vital、vitamin
曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-88変イ長調 6/8 - ヘ短調 - 変ト長調 - 変イ長調Andante mosso (♩.=66)Domine Jesu Christe (m.16)
89-117ヘ短調 4/4Allegro mosso (♩=152)Quam olim Abrahae
118-156ハ長調 - ヘ長調 - ト短調 - ハ長調Adagio (♩=66)Hostias et preces tibi
157-192ヘ短調 - 変ホ短調 - 変イ長調Come primaQuam olim Abrahae
193-217変イ長調 6/8Come primaLibera animas (m.195)
声部: 四重唱

変イ長調の分散和音をVcが2オクターブ以上にわたって上昇し、木管が柔らかくドミナントの和音で答える優美な前奏に続いて、Vcが主題を甘美に奏でます。MsTen独唱がやはりドミナントで「主よ」と答えていくと、Bas独唱が「解き放ってください」を主題の旋律で歌い始めます。

「下の世界での報い」からはヘ短調となって陰影が加わり、音も厚くなりますが、基本はこの甘美な主題の延長線上で、深刻な苦悩の表現というわけではありません(一人称ではないからでしょうか[14])。Sop独唱が「そうではなく」を長く延ばして加わってくるホ音はヘ短調のドミナントのはずが、ppの高弦とともにイ長調、変イ長調と下降し、変ト長調で「旗手聖ミカエル」を歌うことになります。音楽は次第に厚みを増しながら転調し、変イ長調に戻ってまた潮が引いていきます。

"Quam olim"はモーツァルトなどではフーガになっていますが、ベルディは簡潔なカノンを入り口に用いました。テンポを上げたヘ短調4/4拍子で低音から歌い始め、四重唱が出揃ったところで、Sop独唱が半音階的に下降する旋律で改めて"Quam olim"を歌います(《Kyrie》での下降音階が思い出されます)。Ten独唱、四重唱と繰り返すたびに伴奏の楽器を増やし、そして精妙な和声はいつしか変ハ長調、そしてハ長調のカデンツに至ります。

Adagioとなり、繊細な弦のトレモロを伴ってTen独唱が最高に甘美に「いけにえと」を歌います。この旋律は、《Ingemisco》での「マリアを赦した方」ととても似ていることにすぐ気付くでしょう。Bas独唱が引き継ぐとヘ長調になり、SopMs独唱が合いの手を加えます。四重唱でト短調、それからハ長調へと戻りますが、"fac eas"では感情を込めたハ短調に。"vitam"で光が差すようにハ長調を回復し、Flの奏でる主題をききながら四重唱が小声で話すように最後の句を繰り返します。

式文通りに"Quam olim"を反復し、変ホ短調を経て変イ長調を黄金のカデンツ1625でじっくり固めた上で、ベルディはさらに「解き放ってください」を末尾にもう一度置きました。主題を厳かにユニゾンで歌った後、変イ長調の分散和音を滑らかで最高に甘美な四重唱ア・カペラで、そして弱音器をつけた弦のトレモロ、Cl、最後にVcCbが主題を奏でて消えて行きます。

第4曲:Sanctus(聖なるかな)

Sanctus聖なるかな
Sanctus, sanctus, sanctus,聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
Dominus Deus Sabaoth.主よ、万軍の神よ。
Pleni sunt coeli et terra gloria tua.満ちています、天と地が、あなたの栄光で。
Hosanna in excelsis. ホサナ、高きところにて。
Benedictus qui venit in nomine Domini.祝福されますように、来たるものが主の名において。
Pleni sunt coeli et terra gloria tua.満ちています、天と地が、あなたの栄光で。
Hosanna in excelsis. ホサナ、高きところにて。
  • sanctus : sānctus(聖なる)男性単数主格
  • Dominus : 呼格はdomineだが、Deusと並べるために主格と同じにした?
    Sabaoth : 万軍。ヘブライ語で軍を表すtsabaサバオスから派生したもの
  • pleni : plēnus(満ちている)の男性複数主格
    coeli : caelus(m, 天、空=caelumの古形)の複数主格caeliの別表記。複数形でのみ用いられた
    terra : terra(f, 地)の単数主格
    gloria : glōria(f, 栄光)の奪格(手段の奪格「~で」)
    tua : tuus(あなたの)の女性奪格=あなたの栄光で
  • Hosanna : ホサナ。マルコ11:9(マタイ21:9.15、ヨハネ12:13)で、エルサレムに向かうイエスに人々が叫んだとされる言葉。ヘブライ語のhosi ah na(我らを救いたまえ)の省略形。詩篇117:25とも関係あり。
    excelsis : excelsus(高い)の名詞形男性複数奪格。in excelsis=高きところにて
  • benedictus : benedīcō(祝福する)の完了受動分詞=形容詞・男性単数主格 < bene(良く)+dīcō(言う)
    venit : venio(来る)の3人称単数・現在形。
    nomine : nomen(n, 名前)の単数奪格。
    Domini : dominus(m, 主)の単数属格。
    ベネディクトゥスは全体がマルコ11:9(マタイ21:9、ヨハネ12:13)の引用で、特にこの文は詩篇117:26[118:26]にさかのぼる。詩篇において「主の名によって来る人」とは、主に感謝をささげるために(神殿に)やって来る人のこと。
  • 式文にはないpleni suntの繰り返し
曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-9ヘ長調 4/4Allegro (♩=138)Sanctus
10-40ヘ長調 2/2Allegro (𝅗𝅥=112)Sanctus
41-78ニ短調 - ハ短調 - ヘ短調Benedictus
79-139ヘ長調Pleni sunt coeli et terra gloria tua
声部: 合唱I+II

セラフィムの言葉によるこの《サンクトゥス》は厳かに始まる場合が多いのですが、ベルディは威勢のよいTpの信号に導かれたAllegroの序奏を冒頭に置きました。そして主部は、2組に分けられた合唱によるヘ長調の軽快なフーガです。主題は第1合唱のSopから始まり、4小節ごとに1段低いパートが加わります。"Deus"の裏拍のアクセントが効果的です。

第2合唱は1小節遅れて、やはりSopから、4小節ごとに下に向かって声部が増えていきます。シンコペーションで始まるこの副主題は、同時にVnが8分音符の変奏を奏でています(副主題は後半では姿を消しますが、この変奏パターンは常に管弦楽のどこかのパートで鳴り続けます)。

"Pleni sunt"は主題の続きとして他声部の"Sanctus"と並行して歌われ、多くのレクイエム/ミサのように曲調を改めて仕切りなおすことはありません。フーガ2巡目の後半は"Hosanna"となり、音楽もffとなって盛り上がりますが、締めくくりがV7/viでニ短調のカデンツとなります。

続く"Benedictus"はpのニ短調で始まり、旋律もレガートに歌われますが、"Sanctus"と同じ主題の前半部分が用いられ、やはり新しい曲が始められるわけではありません。ほぼ毎小節に声部の入りがあり、めまぐるしく転調して行きます。ハ短調でffの全合奏となり、さらに転調して変ロ短調では(8分音符の変奏が初めてなくなって)全体で付点のリズムを力強く奏でます。急に静まったところで味わう余韻は、ヘ短調です。

ようやくヘ長調が戻ってくると、"Pleni sunt"がppで、この曲で初めて非常に甘美に歌われます。滑らかに全音符で下降する音階は、よく見ると主題の2小節目以降を拡大したものであることが分かります。

弦楽器が刺繍のように奏でる8分音符変奏がFlに一瞬移ると、これが主題の1小節目の役割を果たして圧縮された主題の断片が木管とHrで受け継がれ、そしてffの結尾に突入します。管弦楽が8分音符の半音階で1オクターブ半の上下を華々しく繰り返し、"excelsis"をフェルマータで伸ばした後、オペラの1幕が終わるようなカデンツで曲を閉じます。

第5曲:Agnus Dei(神の小羊)

Agnus Dei神の小羊
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,神の小羊、世の過ちを取り去る方、
dona eis requiem;与えてください、彼らに、安息を;
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,神の小羊、世の過ちを取り去る方、
dona eis requiem;与えてください、彼らに、安息を;
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,神の小羊、世の過ちを取り去る方、
dona eis requiem sempiternam.与えてください、彼らに、いつまでも続く安息を。
  • Agnus : agnus(m, 子羊)の単数主格(あるいは神聖視されるものとして呼格)
    Dei : deus(n, 神)の単数属格=神の
    qui : quīの主格
    tollis : tollō(持ち上げる、取り去る)の二人称単数
    peccata : peccātum(n, 誤り、過ち、宗教上の罪)の複数対格=過ちを
    mundi : mundus(m, 世界、宇宙)の単数属格=世界の
  • sempiternam : sempiternus(永遠の、ずっと続く)の女性単数対格
曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-26ハ長調 4/4Andante (♩=84)Agnus Dei
27-45ハ短調 - ハ長調Agnus Dei
46-74ハ長調Agnus Dei
声部: SopMs独唱+合唱

ハ長調の真白いキャンバスに、無伴奏のSopMs独唱が、グレゴリオ聖歌を思わせる単旋律の調べを描きます。重唱ではあるもののオクターブのユニゾンなので一人の祈りのように響きます。"Agnus Dei"は素直に4小節ですが、"qui tollis"は3小節で半終止し、フッと断ち切られる感じ。"dona"は4小節目前半でニ短調の方向に向かって区切られ、続く2小節半でハ長調を回復するという、これまた不思議なフレーズです。旋律の最初は、《Offertorio》の「いけにえと」の旋律と(したがって《Ingemisco》での「マリアを赦した方」とも)近い関係にあります。

合唱と弦およびClFgが独唱の祈りを模倣します。こちらもまた、全体が1オクターブのユニゾンになっています(独唱より1オクターブ低い)。

2回めの独唱"Agnus"はハ短調のユニゾンで歌われます。ここで初めて伴奏に淡い和音が加わります。合唱はハ長調に戻って"dona"からを反復します。声楽も和声が添えられ、ppながら管弦楽も厚みを増しています。

3回めの独唱"Agnus"は3本のFlで美しく彩られ、歌詞も「いつまでも続く」まで歌われます。合唱はやはりppで"dona"からを反復しますが、ここで初めて旋律に高音域のFlが加わり、後半では独唱も一緒に歌います。

曲はpより大きくなることがないまま、最後の小さなコーダに入ります。低音が不思議な変イ音を奏でて疑問を投げかけ、独唱のハ音が転調に答えるかのようにも思われますが、結局ハ長調で「いつまでも続く安息を」と歌い、バイオリンのハ長調の分散和音が静かに上昇していきます。

第6曲:Lux aeterna(永遠の光)

Lux aeterna永遠の光が
Lux aeterna luceat eis, Domine,永遠の光が、輝きますように、彼らに、主よ、
cum sanctis tuis in aeternum,あなたの聖人たちとともに永遠に、
quia pius es.なぜならあなたは慈愛深い方ですから。
Requiem aeternam dona eis, Domine:永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ:
et lux perpetua luceat eis.そして絶えることのない光が、輝きますように、彼らに。
Cum sanctis tuis in aeternum,あなたの聖人たちとともに永遠に、
quia pius es,なぜならあなたは慈愛深い方ですから、
lux perpetua luceat eis, Domine.絶えることのない光が、輝きますように、彼らに、主よ。
Requiem aeternam.永遠の安息を。
  • sanctis : sānctus(m, 聖人)の複数奪格=聖人とともに
    tuis : tuus(あなたの)の男性奪格
    in aeternum : aeternus(永遠の)対格=永遠の中へ
  • quia : なぜなら
    pius es : pius(慈愛深い)+sumの二人称単数es
  • 式文にはない繰り返し
曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-14変ロ長調 4/4Molto moderato[15] (♩=88)Lux aeterna luceat eis
15-26変ロ短調Requiem aeternam dona eis
27-42変ト長調Poco più animatoet lux perpetua luceat eis
43-53変ロ短調a tempoRequiem aeternam dona eis
54-83変ロ長調et lux perpetua luceat eis
84-93変ロ長調Cum sanctis tuis in aeternum
94-105変ロ長調lux perpetua luceat eis
声部: MsTenBas独唱

第1曲と同じく「光」と「安息」が歌われるこの曲では、やはり両者が対比して描かれます。各3分割されたVnI、IIがppのトレモロで刻み始めるのは、変ロ長調の主和音。Ms独唱が「永遠の光が」と歌いだすと天に引き寄せられるようにニ長調に向かいますが、「あなたの聖人たちとともに」でイ長調になり、さらにト短調からクレッシェンドして主調が戻ってきます。

しかしカデンツが解決してBas独唱が「永遠の安息を」と受け継ぐ旋律は陰りのある変ロ短調。付点リズムと重々しい金管の和音が、葬送の行進を思わせます。「与えてください」にはB'の姿が見えますが、特に後半で三連符と付点を組み合わせた形は《Ingemisco》の「マリアを赦した方」を思い出します[16]

「そして絶えることのない光」は、「与えてください」の途中から加わったMsTen独唱とともに、力を込めた無伴奏の三重唱となります。この光は変ト長調です。いったん変ロ長調を回復しますが、また変ト長調に落ち着きます。

Cbfのピチカートで変ロ短調に引き戻されると、もう一度Bas独唱による「永遠の安息を」となります。今度はMsTenが対旋律として絡んできます。

二度目の「そして絶えることのない光」はようやく本来の変ロ長調となり、Ms独唱が最高に甘美に歌います。新しい旋律ですが、変ト長調の旋律の後半から導かれているようです。後半で順次下降してくる音階は《Sanctus》の後半にも通じるでしょう。細かく和音を刻む伴奏は旋律よりも高い音域で、天上の光景でしょうか。

「永遠に」でクレッシェンドして、弦楽器の短いffの和音で切り落とされると、穏やかなカデンツを経てBasにバトンタッチします。伴奏が厚くなり、三重唱で大きな振幅を繰り返しながら進んで変ホ長調の和音で半終止。ゆっくり下降しながら変ロ長調に戻ると、再び無伴奏の三重唱となって「あなたの聖人たちとともに」が歌われます。最後に「絶えることのない光」と「永遠の安息」が(式文にとらわれず)繰り返されますが、MsはF♯に上昇せず、安定した変ロ長調で「永遠の安息を」も唱えられ、穏やかに結ばれます。

第7曲:Libera me(私を解き放ってください)

Libera me私を解き放ってください
Libera me, Domine, de morte aeterna,解き放ってください、私を、主よ、永遠の死から、
in die illa tremenda:あの震慄の日に:
quando coeli movendi sunt et terra.そのとき、天が動く、そして地も。
Dum veneris judicare saeculum per ignem.ずっと、あなたが来て裁くその間、この世を火によって。
Tremens factus sum ego et timeo,震えさせられています、私は、そして恐れています、
dum discussio venerit atque ventura ira.ずっと、揺り判けが来て、さらに怒りが続く、その間。
Quando coeli movendi sunt et terra.そのとき、天が動く、そして地も。
Tremens factus sum ego et timeo.震えさせられています、私は、そして恐れています。
Dies irae, dies illa,怒りの日、まさにあの日、
calamitatis et miseriae,禍の、そして不幸の、
dies magna et amara valde.大きな日、そして苦い日、とてつもなく。
Dum veneris judicare saeculum per ignem.ずっと、あなたが来て裁くその間、この世を火によって。
Requiem aeternam dona eis, Domine,永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ、
et lux perpetua luceat eis.そして絶えることのない光が、輝きますように、彼らに。
Libera me, Domine, de morte aeterna,解き放ってください、私を、主よ、永遠の死から、
in die illa tremenda:あの震慄の日に:
quando coeli movendi sunt et terra.そのとき、天が動く、そして地も。
Dum veneris judicare saeculum per ignem.ずっと、あなたが来て裁くその間、この世を火によって。
Domine, Libera me de morte aeterna,主よ、解き放ってください、私を、永遠の死から、
in die illa tremenda,あの震慄の日に、
Libera me.解き放ってください、私を。
  • libera : līberō(解き放つ、自由にする)の命令法=解き放ってください
    me : ego(私)の対格=私を
  • die : diēs(f, 特定の日、定められた日)の奪格。奪格結合in diē=その日に。
    illa : 代名詞illa(あれ)の女性奪格
    tremenda : tremendus(途方もない、恐ろしい、震え上がるような)の女性単数奪格。tremō(震える)の未来受動分詞から。フォーレでは「途方もない」としたが、ここでは震える意味を前面に出して「震慄の」としてみた。迷い中。
  • quando : 疑問副詞quandō(いつ)→関係代名詞=そのとき
    movendi : moveō(動く)→形容詞movendusの複数主格
    sunt : sumの三人称複数現在
  • dum : 副詞~の間、~の時
    veneris : veniō(来る)の接続法二人称単数現在完了=来てしまう
    judicare : iūdicō(裁く)の不定詞。venerīs jūdicāre=来て裁いてしまう。裁くために来てしまう
    saeculum : saeculum(n, ひとつの世代、その時の人々、生涯、何百年)の対格=世の人々を。cf.仏siècle、英secular
    per : 対格支配前置詞~によって
    ignem : ignis(m, 火)の対格。per ignem=火によって。cf.英ignite
  • tremens : tremō(震える)の現在分詞=震えている
    factus : faciō(作る、する)の受動態現在完了分詞
    ego : 人称代名詞一人称主格=私は
    timeo : timeō(恐れる)の一人称単数現在=恐れている
  • discussio : discussiō(f, 振動、動揺、審判 < discutiō=離す、分離する、(疑いなどを)晴らす)の単数主格。特に教会ラテン語では審判の意味。いろいろ迷ったが、フォーレの時と同じ「揺り判け」とした。フォーレ・レクイエムの訳注も参照
    venerit : veniō(来る)の接続法三人称単数現在完了=来てしまう
    atque : そしてさらに
    ventura : veniō(来る)の未来分詞=来たる
    ira : īra(f, 怒り)の単数主格=怒りが
  • ※Dies illa~amara valdeは旧約聖書ゼフィニア書1:15のヴルガータ訳から取られている。"dies irae dies illa dies tribulationis et angustiae dies calamitatis et miseriae dies tenebrarum et caliginis dies nebulae et turbinis"
  • 式文はDies illa, Dies iraeだが、ベルディは続唱と合わせるために順序を入れ替えた。これは1864年のロッシーニ・レクイエムでも同じ[rosen, p.105]
  • calamitatis : calamitās(f, 傷ついた者、禍事)の単数属格
    miseriae : miser(不幸な)の女性単数属格
  • magna : magnus(大きい、長い、広い)の女性単数主格。重要な意味を持つ日をmagna diesとかin die magnoと呼ぶのは、ヨハネ7:37、エレミヤ書30:7などにも見られ、ユダヤ律法学者の独特の述語だそうだ。一般的な訳は「大いなる日」。
    amara : āmarus(苦い)の女性単数主格
    valde : 副詞=とても強い
  • saeculum : saeculum(n, ひとつの世代、その時の人々、生涯、何百年)の対格。続唱ではsaeclumと別表記なのに対し、こちらは'u'が入っている
曲の構成
小節調・拍子曲想標語歌詞(最初)
1-44ハ短調 4/4Moderato (♩=72)Libera me, Domine, de morte aeterna
45-131 ト短調 - ニ短調 - ハ短調/ト短調 Allegro agitato (𝅗𝅥=80) Dies irae (m.49)
132-172変ロ短調 - 変ロ長調Andante (♩=84)Requiem aeternam
173-178ハ短調Moderato (♩=100)Libera me, Domine (m.171)
179-206 ハ短調 2/2 Allegro risoluto (𝅗𝅥=116) Libera me, Domine, de morte aeterna
207-261ハ短調 - ヘ短調 - ロ長調 - 変ホ短調Libera me, Domine, de morte aeterna
262-311変ハ長調 - ト長調 - ハ長調Libera me
312-422ハ短調 - ハ長調Libera me, Domine
声部: Sop独唱+合唱

葬儀ミサ後の赦祷式で歌われる応唱の「解き放ってください、私を」をSop独唱が拍のない同音反復で語り、合唱も同じくモノトーンのア・カペラで応えます。ハ短調ですが、重大な時の到来を示すように曖昧で不安な和音が続いています[17]

一人称の第2節は、独唱が小声で「震えさせられています」と歌い始めます。最初は同音反復ですが、半音階下降(《Offertorio》の"Quam olim"を思い出させます)などが加わり、和音も複雑になります。 ここは続唱とは異なり、現在完了形が用いられていることに注意しましょう。今度は予告ではなく、最後の審判がまさに始まっているのです。 動きが全音階的になって、後半のフーガ主題を予感させる分散和音下降からハ短調のカデンツが決まると、もう一度「震えさせられています」を繰り返し、ハ長調の和音が消えて行くように響きます。

第3節は、第2曲の“怒りの日の音楽”の再現です。不条理な世界の悪い奴らをことごとく打ちのめす裁きが(4回目にして)いよいよ実行されます。歌詞はまた三人称となり、合唱によって歌われます。

この世が火によって裁かれ、怒りの日が長いドミナントで終わると、《レクイエム》の冒頭が変ロ短調となって戻ってきます。悪が精算された後の世界にSop独唱と合唱が無伴奏で歌う「永遠の安息」が訪れます。「絶えることのない光」は変ロ長調で。そしてpppの変ト長調で挿入される「永遠の安息」の美しさ。もう一度「絶えることのない光」で徐々に転調しながら、独唱が最後に1オクターブ上昇して変ロ長調に戻る「安息を」は、もう喩える言葉もありません。

さて、式文はここでまた最初に戻って"Libera me"となります。ベルディは不安な弦のトレモロの上に、拍のない同音反復Sop独唱を半音高い音で呼び戻し、さらに合唱のフーガを導入しました。悪魔が退治され光が降り注ぐと、魔法が解けて囚われていた人々が蘇り、灰色になっていた光景に再び緑が広がって行く、そんなシーンを思わせます。最後の審判の後に、新しい世界がやってくるのです。

フーガ主題はAによる分散和音で始まります(《Sanctus》主題の反行形です)。Altから合唱声部が一巡するまでは8小節単位ですが、だんだんコンパクトになり、反行形なども加わって行きます。ひとしきり展開された後で全体がpになってから、独唱が音価を倍にしたテーマで表情を込めて登場します。独唱が合唱と一緒になり、全体がホモフォニックなfに至ったところで急にpppに静まり、いったん休止します。

仕切り直しのフーガは合唱Basから始まって毎小節声部が加わるストレッタです。独唱はやはり途中から参入しますが、合唱とは一緒にならず、独自の役割を受け持っています。独唱の音がずっと沈んでいったん退くと、低音が主題の1小節目をBの順次下降に変形し(“怒りの日の音楽”の残影でもあります)、とても小さく始めて音を高めつつ繰り返しながらクレッシェンド。全合奏が同じリズムになってクライマックスを全力で築くとき、独唱は6小節遅れて参加し、ハ長調の音階を上昇して最高音c3で「私を解き放ってください」と歌い上げます。これは《Rex tremendae》の頂点「私を救ってください」と同じ音。あの時に垣間見えた希望が、ここで実現するのでしょう。

弦、木管がフーガ主題を順次低音楽器にバトンタッチして静まって行き、独唱が冒頭と同じく応唱を語ります(フーガ以降、独唱の歌詞に「裁く」は出てきません)。そして合唱とともにゆっくり「私を解き放ってください」と繰り返し、ハ長調の和音が消えて行きます。

試訳について

テキストは主としてDover版(1998)スコアの声楽パート歌詞に従っていますが、句読点は反復のために加えられたものが多いため、[Rosen95]を基本に[井形]とも照らしあわせ適宜整合性を取るように調整しました。

訳の単位は歌のフレーズを基本とし、語順もフレーズの先頭、最後にくることばをできるだけその位置に置くよう、逐語的に訳しました。ただし続唱(ディエス・イレ)に関しては、脚韻を表現するために都合の良い語を行末においている場合があります(脚韻のために文法的には必ずしも正しくない訳になっている部分があります。また、リズムの改善を模索中です)。

同じ節内での繰り返しは基本的に略していますが、節を挟んで改めて繰り返されるものは原則として試訳でも繰り返しました(Dies iraeのような短いフレーズが挿入句的に繰り返されるものは略しました)。繰り返しが本来の式文にない場合は、スタイルシートが有効な環境では文字色を薄くして示しています。

補足

  1. ベルディのメトロノーム指定 ^: ベルディはレクイエムの各楽章に細かくメトロノームによるテンポ指定を加えていますが、[Cho]がトスカニーニ、ジュリーニ、ショルティ、アバド、ガーディナーの録音を比較検討したところ、ベルディの♩=80に対して実際の演奏はトスカニーニ以外が♩=44~56、トスカニーニでも♩=72だったということです。Choによればベルディは「遅いテンポは好みません。遅くなってしまうよりは速すぎるほうがまだましです」と指揮者に手紙を書くなど、速いテンポを好むことで知られていたそうで、ベルディと「テ・デウム」初演のために打合せたことがあるトスカニーニが速目のテンポであるのは、そうした作曲家の考えに直接触れていたことも関係あるかもしれません。

    Choの論文では、ローゼンの批判校訂版スコアと既存スコアおよび自筆譜におけるアクセントやスラーの違いを比較し、音節の途中でスラーを切るといった特殊な書法も含め、作曲家が表現しようとしたフレージングを探る試みも行なわれています。

  2. 基本動機 ^: ローゼンはBよりもこの元に戻る音まで含めたB'をunità musicale(音楽的統一)の重要要素と捉えています。またAについても、3音の分散下降だけでなく"et lux"のように九度(あるいはそれ以上)にわたって下降する形を基本に考えています[Rosen95, pp.80-88]。本稿では、これらが冒頭の音形から発展していることを示すために短いABを基本動機としていますが、あまり短い動機だと例によって何とでも言えるものになってしまうので、ローゼンのように長めにとらえる方が良いかもしれません。

    ちなみにローダーは本稿のAと同じ形を動機a、Bより一音のばしたA-G-F-Eの4音を動機b、さらに複付点音符を動機c、戻ってくるB'型を動機dとして分析しています[Roeder90, pp.176-177]。また森田はAを動機a、Bを動機bとしたうえで、Aが1オクターブ以上に渡る形(ローゼンと同様)を動機c、さらに《Kyrie》で低音の対旋律に現れる半音階下降を動機dとしています[森田, pp.3-6]。

  3. 独唱あるいはオペラとレクイエム ^: この曲で独唱が初めて登場する"Kyrie"でいきなりイタリア・オペラさながらの節回しを聴かされてむずむずすることがありますが、ベルディ自身は「このミサはオペラを歌うような方法で歌ってはならず、したがって劇場向きのフレージングやダイナミクスでは私は満足しません。全然です」と述べているので[Rosen95, p.17]、どうかお願いします。もっとも、これはこの曲にオペラの作曲手法が生かされていないという意味ではなく、リリカルな旋律、見事な重唱など、オペラの巨匠ベルディならではの聴かせどころは満載です。それはこの曲が宗教的かどうかという批判に対してジュゼッピーナが「ベルディのような人はベルディらしく、つまり彼の感じ方とテキストの解釈に従って書くべきなのです」と言うとおりでしょう。

  4. ディエス・イレの韻律 ^: 続唱《Dies irae》はtrochaic tetrameter(強弱四歩格)という1行に強弱を4回繰り返す韻律によって書かれており、さらに1節=3行単位に各行(versus)末で脚韻を踏んでいます。試訳では、強弱リズムを反映させるのは手に余るので、なんとか脚韻だけでもそれらしきものにしようと難儀しています。

    古典ラテン詩では音節の長短(母音の長短および続く音節との関係で決まります)を組み合わせた詩脚(pes)という単位を連ねることで詩文を構成していました。この詩脚が長+短であるものをトロカイオス(長短格)、これが4つで1詩行になっている韻律を長短4歩格と呼びます。《Dies irae》がつくられた中世には、長短韻律よりアクセントによるリズムが中心となっており、ここでの詩脚も英詩などと同じく強+弱のトロキー(強弱格)として捉えることができます。

    Dies irae, dies illa,
    Solvet saeclum in favilla,
    Teste David cum Sibylla.

    《Dies irae》は音節ひとつおきに強勢が置かれており、それを意識して読むと、各行がきちんと4つの強弱で構成されていることが分かります。ただし最後の2行およびAmenは、この韻律には当てはまりません。

  5. ラッパが不思議な音を ^: ベルリオーズのレクイエムも、別働隊も用いたトランペット(および金管)のファンファーレで「不思議な音を響かせる」ラッパを表現しており、アイデア拝借と指摘されたりもします。変ホで始まり付点音や三連符を駆使するところも共通していますが、ベルディの変ホはドミナントであるのに対し、ベルリオーズは最初から主和音として響かせています。

  6. 書かれた書物が ^: 《Liber scriptus》は1874年の初稿ではフーガを含む合唱によって歌われるト短調のセクション(譜例)でしたが、1875年にMs独唱中心のニ短調に書き換えられました。前との調性的なつながりやセクション末に置いた“怒りの日の音楽”との関係から、ベルディはフーガに満足していなかったようです[Rosen69]。

  7. リリック・プロトタイプ ^: ベルディのオペラにしばしば見られる、四行連の詩を a a' b a'' あるいは a a' b c といった形で作曲する旋律形成を"lyric prototype"(ヨゼフ・カーマンの用語だそうです。叙情歌唱型とでも訳すのでしょうか)と呼びますが、《Liber scriptus》は3行目を繰り返すことでちょうどこの型に合致しているとローゼンは指摘し[Rosen95, pp.28-29]、ほかの曲の分析でも何度か"lyric prototype"を取り出してきます。ベルディがオペラの作曲技法をレクイエムに応用している例というわけです(この型に当てはまる部分は、思ったほど多くはありませんが)。

  8. 独唱の役割 ^: このレクイエムでは、独唱が必ずしも個人の声を代弁するとは限らず、《Liber scriptus》のように三人称で語り手の役割を担う場合もあります(ローゼンはレクイエムがオペラ的でない要素の一つにあげています[Rosen95, p.93])。

    構造上は“怒りの日の音楽”によって人称/場面が切り替わっていますが、音を聴いていると《Liber scriptus》も切々とした歌であり、《Quid sum miser》に入る前からモノローグであったようにも思えるかもしれません。ローダーはこの続唱の超拍節法(hypermeter)による興味深い分析を示していますが、区切りの検討においては《Liber scriptus》を例外扱いせざるを得ず、やや苦しい感じです[Roeder94, p.92]。《Liber scriptus》に合唱を用いた初稿は、少なくとも区切りの形式的分析についてはより理解しやすかったでしょう。

  9. コントラバスの記譜 ^: 少なからぬ演奏がこのハ長調主和音への解決でCbにC1(コントラC)を弾かせていますが、楽譜上はA線(第3弦)上のCです。さてここは“この記譜は楽器の制約によるものであり、できるならベルディはもっと低い音が欲しかったはず”と考えるところなのでしょうか。ベルディは、アイーダの行進曲を効果的に演奏するために「低いト音のあるコントラバスは何本あるか」とメモしているそうで[タロッツィ, p.144]、その訳注には「当時のコントラバスは三本弦で、最低音は通常イ音だった」とあります(確かにこのレクイエムでは、4弦ベースの最低音であるE1すら用いられていません)。

    ベルディの楽譜を開いてみると、リゴレット(1851)、椿姫(1853)、トロバトーレ(1853)あたりでは、必要ならば低いC1やD1などが使われています。一方でドン・カルロス(1867/86)やオテロ(1887)では、低音が順次下降してくるところでCbだけが途中から1オクターブ上げられるなど、Es1以下の音を避けていることが見て取れます(ただしオテロ第4幕のCbソロがE1から始まっているように、どの曲でも4弦バスの音域は出せるものとして扱われています。プラニャウスキーは、イタリアで3弦楽器だけが使われたとは「立証しがたい」と述べています[コントラバスの歴史, p.317])。

    (譜例)1850年代の曲では、必要なら(特にppの箇所で)コントラC領域の音が指示されている。一方でVcが最低音CでもCbは普通のCの箇所(特にff)もある。 (譜例)後期になると4弦バスで弾けない音は1オクターブ上で書かれる。

    さてレクイエムの場合はどうでしょう。時期的にはEs1以下の記譜を避けるようになっていたと言えそうなので、本当はC1が欲しいのに書かなかったという可能性も否定できません。ただし、50年代の曲でもC1~Es1の音はp系で低音が浮き立つ箇所に限られており、全合奏のffに重低音を敢えて用いている例は見当たらないようです。レクイエムには他にも“5弦なら下げる”と言いたそうなところがいくつかありますが、さてさて、どうでしょうね。

    (ローゼンの校訂報告によると、ベルディは《Quid sum miser》の印象的なD-G1のピチカートについて、自筆譜に低いソがない奏者は弾かないことと書いていて(やはり3弦バスを意識しています)、オクターブの変更をよしとはしていなかったようです。)

  10. 拍手喝采 ^: ローゼンはこのレクイエムの演奏史を考察した一節で、「ベルディは〔曲間の〕拍手を許容したばかりか、しばしばアンコールをしてそれに応えた。“レコルダーレ”、“ホスティアス”、そしてとりわけ“アニュス・デイ”はしばしば繰り返された」と書いています[Rosen95, p.16]。現代でも交響曲の楽章間拍手を歓迎する楽しい指揮者がいますが、ベルディもなかなかのものだったようです。

  11. 被告人の呻き ^: 死者の魂の安息を祈る音楽において、世界の破壊が描かれたり、「私」が被告人扱いされて裁きを受けるというのは、どうしても受け入れ難い点でした。しかしフランシス・トーエが述べたようにこれを「最後の審判を主題としたオラトリオ」と考える[Rosen95, p.90]なら(ベートーベンもミサ・ソレムニスを「オラトリオと呼んでも構わない」と言ってみたりしています)、それはそれで理解できるかもしれません。タロッツィが書くとおり、死を「逃れられない刑罰」と考え恐怖と不安を感じて動揺するベルディがある[タロッツィ, p.170ほか]とすれば、《Dies irae》で恐るべき力を描き、《Ingemisco》で被告人の呻きを歌うのは必然なのでしょう。

    もちろんベルディにとって死は恐怖の対象だけなのではなく、たとえばアイーダの幕切れの台本について「何か甘美な、ぼんやりした短い別れ、人生への別れ」を求め[同, p.154]、息絶えたアイーダに向かって「平安を」と歌うようなものでもあります。レクイエム・ミサのテキストを素材に、ベルディは人間とその死をさまざまな角度から表現し尽くした、その意味でこれは「安息を祈る音楽」を一歩踏み出した作品と捉えておきたいと思います。

    (周知の通り、「死者のためのミサ」としては、恐怖を強調し過ぎるとして続唱「怒りの日」は1972年に典礼から外されています。そもそも死者に罪があるとかいった考え方については、さらにまた別の話ですが。)

  12. 揺れ動く調性 ^: この箇所にかぎらず、この曲でベルディは短調と長調の間を揺れ動く旋律を多用しており、和声的にも特色となっています。森田は「ヴェルディの旋律は,それ自体の中に長短両調の可能性を秘めているものが多い。そして, IIIやVIの和音が好んで使われることによって,短調の場合は長調的色彩が生まれ,長調の場合には短調を志向する傾向が強くなっている」と指摘し、教会旋法と調性旋律が融合したケースも含め、ベルディの旋律の特徴として分析しています[森田, pp.11-15]。またローダーは《Lux Aeterna》の分析において、音階音度の機能とE/E♭のような隣接するピッチクラス(pitch class)の関係に注目しています[Roeder90, p.176ff]。

  13. 涙を流す日 ^: 《Confutatis》までとは異なる形式で、特に最後の2行は内容も唐突な教義的祈りであるため、続唱においてこの部分は後から付け加えられたと考えられています。グレゴリオ聖歌でも、この前が3つの旋律を2節ずつ歌って繰り返していたのに対し、全く新しい旋律が用いられます。ローダーはこれまでの三行連が2行×3になることを、カデンツ前のヘミオラに擬えて、ここが結論部になるという考え方を示しています[Roeder94, p.89]。ベルディはこの違和感を逆手にとって、場面転換したのかなと考えてみたりします。

    「涙を流す日」の旋律は、歌劇『ドン・カルロ』第4幕第2場のために書いて初演前に削除されたものが元になっていることが知られています。元の歌は次のようなものです[Rosen95, p.77]。オリジナル版とうたった演奏などで聴くことができます(ホルド=ガッリード+王立スウェーデン歌劇場による演奏)。

  14. 祈りと苦悩 ^: 下の世界での報い(あるいは地獄の罰)とか獅子の口とかおどろおどろしい表現が出てきますが、ここでの音楽は第2曲とは異なり、その苦しさを直截的に描写しようとはしていません。この《Offertorio》から第6曲《Lux aeterna》まではすべて命令形もしくは現在形(一人称がある場合も複数形)で、姿は違えどいずれも祈りの音楽となっています。

  15. Lux aeternaの曲想標語 ^: 多くのスコアでAllegro moderatoとされていますが、ローゼンの校訂報告によると、筆写譜の段階で自筆譜のMolto moderatoを読み違え、Ricordi 1875/77版、同1913年版ミニチュアスコア(およびそのリプリント)が受け継いでしまったということです。ピアノ伴奏声楽スコアは1874、75版ともにMolto moderatoになっています。

  16. 永遠の光 ^: ローダーは、この旋律の形だけでなく、変ロ短調のソロから変ト長調のア・カペラ重唱を経て変ロ長調に至るという構造、またrequiem / dona eisという歌詞の共有から、むしろ《Lacrymosa》との関連を指摘しています[Roeder90, p.177]。

  17. リベラ・メ ^: 《Libera me》は、1869年の“ロッシーニ・レクイエム”のために作曲したものが用いられています。またこの"Requiem aeternam"の部分は《Requiem e Kyrie》に用いられており、そのABモチーフがさまざまな旋律の構成要素となっていることを考えれば、69年の《Libera me》は“マンゾーニ・レクイエム”全体の源になっていると言ってよいでしょう。

    なお現在の《Libera me》は69年稿そのままではなく、かなり改定が加えられています。たとえば"Requiem aeternam"は69年稿ではイ短調(現在の《Requiem e Kyrie》と同じ)でしたし、“怒りの日の音楽”の部分は4割ほど短く、調性もハ短調でした。また69年稿では、独唱も合唱Sopパートを一部歌っていました(ヘルムート・リリング+シュトゥットガルト放送響による演奏)。

参考文献

主に参考にした文献:

参照楽譜: