ハイドン(a.k.a.)の交響曲

ハイドンの交響曲の変遷を理解するために個人的に作成した基本データ。主としてゲルラッハによる年代研究にもとづき、中野博詞による5時代の分類にあてはめました。編成は主としてウェブスター/フェーダー編のグローブ事典の作品表に基づいています*

(※注)広く使われているランドン版の楽譜では、FgやTimpなどが追加されていることがあります。2002-10-23に編成データの誤りをいくつか訂正しましたので、それ以前に印刷利用などされている方はご注意ください。

1.交響曲様式への模索:1757/65

ハイドンの初期交響曲は、大きくモルツィン伯爵家時代とエステルハージ家副楽長時代に分けられます。これらは年代確定が難しく、研究によっては異なる作曲年代、順序が示されていることがあるので、おおまかな分類として捉えてください。モーツァルトと違って、初期でもかなり様々な様式が用いられています。

モルツィン伯爵家時代

番号調通称作曲時期楽章FlObClFgHrTpPk備考
1D17573: f-s-f22
37C1757/584: f-m-s-f22(2)Hr2もしくはTp2+Timp
2C1757/593: f-s-f22
18G1757/593: s-f-m22
4D1757/603: f-s-m22
27G1757/603: f-s-f2(2)Groveでは(2 hr)
10D1758/603: f-s-f22
20C1758/604: f-s-m-f222Y
5A1760/614: s-f-m-f22
11Es1760/614: s-f-m-f22
17F1760/613: f-s-f22
19D1760/613: f-s-f22
25C1760/613: sf-m-f22
32C1760/614: f-m-s-f222Y
107B1760/613: f-s-f22
3G1761-06/124: f-s-m-f22
15D1761-06/124: sfs-m-s-f22

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1957/58年にモルツィン伯爵の音楽監督に就任したハイドンが、この期間にいくつの交響曲を作曲したかははっきりしない。フェーダー、ランドンらはフュールンベルク・コレクションに含まれる15曲のうち、Hob.I-60を除く14曲はおそらくこの時期と推定している。一方、ゲルラッハの年代研究では、33番も少し後の時期とされ、逆に17、25番がこの時期に含められている。表はおおむねゲルラッハに基づいて作成した。

なおホグウッド版の全集は、第1巻(c.1757-60)を「モルツィン伯爵のための交響曲」と題し、1, 2, 4, 5, 10, 11, 18, 27, 32, 37, 107を含めている。同第2巻(c.1760-63)は「ウィーンからエステルハージ家へ」として3, 14, 15, 17, 19, 20, 25, 33, 36, 108が含まれ、時期の特定は難しいがモルツィン伯爵のための作品とはかなり様式が異なることを指摘している。

ヘンレ社から刊行中のハイドン研究所による新全集では、第1巻(1757-1760/61)が1, 37, 18, 2, 4, 27, 10, 20, 17, 19, 107, 25, 11, 5, 32番で、ここでの分類の3, 15以前のものと一致している。

エステルハージ家副楽長時代

番号調通称作曲時期楽章FlObClFgHrTpPk備考
7C17614: sf-s-m-f1212第2楽章はFl:2
6D1761-06/124: sf-sss-m-f1212
8G1761-06/124: f-s-m-f1212
33C1761/624: f-s-m-f222Y
36Es1761/624: f-s-m-f22
14A17624: f-s-m-f22
108B17624: f-m-s-f212
9C1762初3: f-s-m2(1)2第2楽章はFl:2
12E17633: f-s-f22
13D17634: f-s-m-f124
40F17634: f-s-m-f22
72D1763-08/124: f-s-m-sf1214
16B1763初3: f-s-f22
34d1763半4: s-f-m-f22
21A17644: s-f-m-f22
22Es哲学者17644: s-f-m-f2Eng.hr:2
23G17644: f-s-m-f22
24D17644: f-s-m-f2(2)2FlもしくはOb
29E17654: f-s-m-f22
30Cアレルヤ17653: f-s-m122
31Dホルン信号17654: f-s-m-sf124
39g1765-05/09?4: f-s-m-f24
28A1765末4: f-s-m-f22

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C.F.ポールの研究では、1762年7月1日時点でのエステルハージ家オーケストラの編成は「Vn:5; Vc:1; Cb:1; Fl:1; Ob:2; Fg:2; Hr:2」を正式団員としていたと伝えられる。この時期ハイドンは、「前古典派とバロックのさまざまな様式を模倣しながら、独自の交響曲様式をうちたてようとする」[中野2002]。

新ハイドン全集では、第2巻(1761-65)が3, 14-16, 33, 34, 36, 39, 72, 108番、第3巻(1761 bis 63)が6-9, 40, 12, 13、第4巻(1764,65)が21-24, 28-31番となって、3, 15を除きこの時期に相当する。

2.シュトルム・ウント・ドランク:1766/73

エステルハージ家楽長に昇進するこの時期は、一般にはドイツの文学運動の「シュトルム・ウント・ドランク」と結びつけて捉えられ、強い感情表出と意欲的な実験の時代として位置づけられます(この文学運動は1770年代後半の動きで、時期的にも直接の関連はないはずですが、便利な呼称なので慣用に従います。中野の分類ではこの名称は用いていません)。中野が「バロック様式の同化」と呼ぶように、バロックの対位法的な書法が積極的に導入されます。また、オペラ劇場などを備えたエステルハーザ城の完成もあり、劇場音楽、教会音楽の要素が交響曲にも取り込まれてきます。

番号調通称作曲時期楽章FlObClFgHrTpPk備考
38CEcho17674: f-s-m-f22(2)
35B1767-12-014: f-s-m-f22
58F1767末4: f-s-m-f22
26d哀歌17683: f-s-m22
41C17684: f-s-m-f122(2)
49f受難17684: s-f-m-f22
59A火事17684: f-s-m-f22
48Cマリア・テレージア17694: f-s-m-f22(2)Hr2もしくはTp2+Timp
65A17694: f-s-m-f22
43Esマーキュリー1770/714: f-s-m-f22
44e悲しみ1770/714: f-s-m-f22
42D17714: s-s-m-f222
52c1771後4: f-s-m-f2(1)2
45fis告別17724: f-s-m-fs212
46H17724: f-s-m-f22
47G17724: f-s-m-f2(1)2
50C17734: sf-s-m-f222Y
51B1773初4: f-s-m-f22
64A時の移ろい1773秋?4: f-s-m-f22

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C.F.ポールによれば、この時期のエステルハージ家オーケストラの編成は通常「Vn:4/6; Va:2; Vc:1; Cb:2; Fl:1; Ob:2; Fg:2; Hr:4」で、必要に応じて「Tp:2; Timp」が加わっていた。

新ハイドン全集では、第5a巻(1766-69)が26, 38, 41, 48, 58, 59, 65番、第5b巻(1770-74)が43, 44, 51, 52, 60, 64番およびHob Ia:1 mit Menuett/Finale in C、第6巻(1767-72)が35, 49, 42, 45-47番となって、50, 60番の時期が入れ替わっていることを除きこの時期に相当する。

3.聴衆への迎合と実験:1774/84

「シュトルム・ウント・ドランク」と「パリ交響曲」の間に位置するこの時期は、親しみやすい旋律と簡潔な和声による“聴衆受けする”交響曲が書かれています。侯爵や聴衆からの圧力と共に、1776年頃からエステルハーザ城でのオペラ活動が本格化したこと、ハイドンの楽譜が広範に普及し、ハイドンもより広い聴衆を獲得する意欲をもったことなどが関係すると指摘されています。

番号調通称作曲時期楽章FlObClFgHrTpPk備考
54G17744: sf-s-m-f22222YFl,Tp,Timpはあとで追加
55Es校長先生17744: f-s-m-f212
56C17744: f-s-m-f2122Y
57D17744: sf-s-m-f22
60Cうっかり者17746: sf-s-m-f-s-f22(2)Y
68B1774/75c.4: f-m-s-f222
66B1775/76c.4: f-s-m-f222
67F1775/76c.4: f-s-m-fsf222
69Cラウドン将軍1775/76c.4: f-s-m-f2222Y
61D17764: f-s-m-f1222Y
53D帝国1778/794: sf-s-m-f1212Y終楽章は3版:ver BではFg:2
70D1778/794: f-s-m-f12122YTp,Timpはあとで追加
71B1778/794: sf-s-m-f1212
63Cラ・ロクスラーヌ17794: f-f-m-f1212
75D17794: sf-s-m-f1212(2)
62D17804: f-f-m-f12(2)2
74Es17804: f-s-m-f1212
73D1781c.4: sf-s-m-f1222(2)
76Es1782?4: f-s-m-f1222
77B1782?4: f-s-m-f1222
78c1782?4: f-s-m-f1222
79F1783/84c.4: f-sf-m-f1222
80d1783/84c.4: f-s-m-f1222
81G1783/84c.4: f-s-m-f1222

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この時期のエステルハージ家オーケストラの編成は、13~25人の間を行き来しており、年ごとの移動が激しい。管楽器の構成は第2期と大きく違わないが、中野の記述によれば、1776年に初めて正式にFlが一人加わり、Obが2~3、Hrは1775に4人、後に5人となる。Fgは2~4、Tpは1780/81の間だけ雇われている。交響曲には使用されていないが、1775から2年あまりClが2人加わっていたという。

新ハイドン全集では、第7巻(1773,74)が50, 54-57番、第8巻(1775/76)が66-69, 61番、第9巻(1777-79)が53, 63, 70, 71, 75番およびHob Ia:7、第10巻(1780/81)が62, 73, 74番およびHob Ia:4、第11巻(1782-84)が76-81番となって、50, 60番の時期が入れ替わっていることを除き、巻ごとの年代順も含めこの時期に一致する。

4.パリ交響曲(古典的完成):1785/89

「パリ交響曲」と呼ばれる82~87番はコンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックの依頼で、88,89番はP.トストのために、90~92番はドニィ伯爵の依頼で、いずれもパリでの上演のために書かれました。パリの優れた大規模なオーケストラと聴衆の趣味を念頭に置き、第2期で試みられた対位法的書法と第3期の“聴衆受けする”美しさが融合され、古典的な完成と呼ぶにふさわしい作品が生まれています。

番号調通称作曲時期楽章FlObClFgHrTpPk備考
83g雌鶏17854: f-s-m-f1222
87A17854: f-s-m-f1222
85B王妃1785/864: sf-f-m-f1222
82C17864: f-f-m-f1212(2)YHrもしくはTp
84Es17864: sf-s-m-f1222
86D17864: sf-s-m-f12222Y
89F17874: f-s-m-f1222
88G1787?4: sf-s-m-f12222Y
90C17884: sf-s-m-f1222(2)
91Es17884: sf-s-m-f1222
92Gオックスフォード17894: sf-s-m-f1222(2)

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新ハイドン全集では、第12巻が87, 85, 83 番、第13巻が84, 86, 82番、第14巻が88-92番となる。

5.ザロモン・セット(円熟):1791/95

1790年のニコラウス・エステルハージ侯爵の死去により、ハイドンの音楽生活は一変する。ザロモンの招きによって1791年1月にロンドンに到着したハイドンは、92年までに93~98番の6曲を作曲。いったんウィーンにもどったあと再び1794年にロンドンに登場し、99~104番を書いています。ロンドンでは入場料を払って演奏会場にやってくる聴衆や、新聞による音楽批評など、これまで以上に多様な聴衆の反応がダイレクトに返ってきました。さらに大きな編成のオーケストラにより、一層豊かな響きを追求することができました。

番号調通称作曲時期楽章FlObClFgHrTpPk備考
93D17914: sf-s-m-f22222Y
94G驚愕17914: sf-s-m-f22222Y
95c17914: f-s-m-f12222Y
96D奇跡17914: sf-s-m-f22222Y
97C17924: sf-s-m-f22222Y
98B17924: sf-s-m-f12222YオブリガートCemb
99Es17934: sf-s-m-f222222Y
100G軍隊17944: sf-f-m-f222222YFlは1パートでsoloとtutti
101D時計17944: sf-s-m-f222222Y
102B17944: sf-s-m-f22222Y
103Es太鼓連打17954: sf-s-m-f122222Y
104Dロンドン17954: sf-s-m-f222222Y

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C.F.ポールによれば、ザロモンのオーケストラは32~27人の弦楽器に管とティンパニが加わって、およそ40人であったと伝えられる。また、オペラ・コンサートのオーケストラは、ランドンによれば60人の大編成で木管はクラリネットを含め各4本であったと言われる。105番とも呼ばれる協奏交響曲も、この時期(1792年)に作曲されている。

新ハイドン全集では、第15巻が93, 95, 96番、第16巻が98, 94, 97番、第17巻が99-101番、第18巻が102-104番となる。

異なる切り口でみた交響曲

調性別に見た交響曲
ハ長調 | ニ長調 | 変ホ長調 | ヘ長調 | ト長調 | イ長調 | 変ロ長調 | 短調
年代別の交響曲
年代別交響曲疑似グラフ
交響曲の規模
演奏時間の疑似グラフ

参照文献

※入力ミスなどによる誤りが含まれる可能性があります。年月(日)はISO-8601スタイルで、1806-10は1806年10月を、1806/10は1806~1810年を示します。