チャイコフスキー(a.k.a.)の交響曲

チャイコフスキー (Петр Ильич Чайковский / Pytr Il'ich Tchaikovsky | Chaikovsky 1840-1893) の交響曲一覧です。

交響曲一覧

#調作品番号作曲時期楽章PiFlObClFgHrTpTbTub備考
1gop.131866 (66,74改訂)4: f-s-f-sf122224231
2cop.171872 (79/80改訂)4: sf-s-f-sff122224231
3Dop.2918755: ff-f-s-f-f122224231
4fop.361877/784: ss-s-f-f122224231
5eop.6418884: sf-s-f-sf(1)32224231
6hop.7418934: sf-f-f-s(1)32224231

楽章のテンポ構造をfast, slow, menuettoで表示

チャイコフスキーには6つの交響曲の他、標題を持つ交響作品「マンフレッド交響曲op.58」がある。また、作曲を途中で放棄した変ホ長調の交響曲は、新しいチャイコフスキー全集には収録されるという(これを後年ボガティレフが補作したものは、第7番とも呼ばれ、録音も複数ある)。

チャイコフスキーに関してはいまだに謎が少なくないが、その代表が突然の死の原因を巡るものだろう。モデストの伝記ではコレラに感染したと記されているわけだが、当初からさまざまな憶測や噂が乱れ飛んだようだ。アレクサンドラ・オルロヴァが1978年に発表した「秘密名誉裁判で自殺を宣告されて砒素を飲んだ」という説には、(情報に飢えていた)西側研究者が飛びつき、1980年に改訂された新グローヴ音楽事典にも掲載されるなど一世を風靡する。しかし、アレクサンドル・ポズナンスキーが1988年の論文を皮切りとしてこの説を否定する研究を発表し、没後100年の1993年頃には自殺説を支持する意見はほとんど見られなくなった(ニュー・グローヴの記述も、2000年の第2版で「死因は不明」と改められた)。ポズナンスキーによれば、チャイコフスキーの死は、やはりコレラによってもたらされたということだ。

参照文献

※入力ミスなどによる誤りが含まれる可能性があります。年月(日)はISO-8601スタイルで、1806-10は1806年10月を、1806/10は1806~1810年を示します。